◆ ロマ書の学び(300)
愛には虚偽(いつわり)あらざれ、悪はにくみ、善は親しみ、 兄弟の愛をもて互いに愛(いつく)しみ礼儀をもて相譲(あいゆず)り=@ ロマ書一二章九〜一〇節 他人に文書を記す際には、ただ用件だけではなく、いつも相手の立場を考え、相手を思いやるという愛の結びつきを忘れてはいけない、と言っているのである。 私は、手紙を書くことは高校一年の時から学んできた。趣味としてペン・フレンドを求めることから、手紙を書くためにいろいろな参考書を勉強し、手紙を書くすべを習ってきた。今でも勉強している。手紙を書くことで多くの人たちと友達関係ができた。どのようにして自分の心を相手に伝えるのか、どのようにして自分のことを正しく受け止めてもらえるか、一生懸命に勉強して習ってきたのである。 そうして感じることは、今の日本人は手紙の書き方が大変ぞんざいであるということである。これは、心が相手に向いていないからではないだろうか。字の上手下手(じょうずへた)の問題ではない。もちろん字が上手であればそれにこしたことはないが、どのように自分の心を相手に伝えるか、ということが手紙を書く上ではたいへん大事である。 互いに愛しむ、また礼儀を持つ、たがいに譲りあう。クリスチャン同士であるならなおのこと、互いに相手のことを考え、思いやり、そして礼儀正しくするということがとても大事なのである。 最近では、男女の別なく相手の名前を呼びすてにしたり、あだ名を呼んだり、電車の中でも乗り物の中でも大声でしゃべったり、はたで聞いていて恥(は)ずかしくなるような、大変ぞんざいな言葉づかいをしたり、女の子が男言葉を使ったりと、言葉の乱れが多く見られる。まず私たちクリスチャンが身をもって自分たちの生活における正しいあり方というものを、日常生活であらわしていかなければならない。 ロマ書一二章一一節には勤(つと)めて怠(おこた)らず、心を熱(あつ)くし主につかえ≠ニある。「勤勉(きんべん)」というと、いかにも昔の教えのようにとられるかもしれない。しかし、私達は神様によって救われ、神様のために生かされているのだ。神様にお仕えするようにすべての置かれた場にあって神様を礼拝する。家庭にいるからとか職場にいるから伝道できない、ではない。夫々(それぞれ)に神様によって置かれた立場、持ち場がある。 全ての所で自分に託(たく)された責任を怠(なま)けたり手抜きすることなくしっかり行うことが大切なのである。(続)
◎ 暗誦聖句 ペテロ前書二章一三節前半
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