◆ ロマ書の学び(302)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年一〇月四日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  相互(あいたがい)に心を同じうし、高ぶりたる思いをなさず、 反(かえ)って卑(ひく)きに附(つ)け。
    ロマ書一二章一六節

  これはロマ書一二章三節で学んだことを考えてみると良い。思うべき所を超えて自己(みづから)を高しとすな。≠ナある。高ぶった思いをすることのないように歩んでいきたいものである。 

  誰かが持っている良い才能、たとえば絵、歌、ピアノが上手だ等々。人が、その与えられた才能を神様におささげするときに、それは自慢とはならない。心から神様におささげし、奉仕をするからである。 私たちは、油断をするとつい他人と比べてしまう。何時間聖書を読み祈っているとか、何時間奉仕をし訪問しているかと、いつも自分を誰か他人と比較してしまう。

  ロマ書一二章一四節から二一節の中心テーマは、この社会において信仰を持っていない(クリスチャンではない)人たちとどのように生活を共にするか、である。

  悪をもて悪に報(むく)いず、凡(すべ)ての人のまえに善(よ)からんことを図(はか)り、汝らの為し得るかぎり力(つと)めて凡ての人と相和(あいやわら)げ。
  ロマ書一二章一七節

  「私はクリスチャンですから。」と言って、忘年会でお酒を飲まない。これは正しいことである。あるいは社員旅行があるときに、「私はクリスチャンですから、社員旅行に行きません。」と答えるのは自分の勝手であるかもしれない。

  しかし、何もかもダメというのは、どうであろうか。もしそんなことをしていたら、日本の社会でクリスチャンは生活できない。

  私たちは、できる限り偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)であるとか、明らかに、神様の教えに反することに関しては「参加しません。」という態度を表明すべきである。

  けれども、日常生活においてはできる限り、自分から積極的に相手の中に飛び込んでいく。そして、相手と心をふれあう機会を持つことがたいへん大事だと思う。

  あなたがもし、パソコンをやっているならば、パソコンの技術を磨(みが)いていただきたい。同じ職場にいる、他の同僚よりも自分が一歩先に進んで、新しい技術あるいは使い方を開発していく。または自分で勉強して腕を上げていく事がたいへん大事である。

  未信者の職場にあって皆さんが信頼を勝ちうるのは何であろうか。言葉ではない。あなたの実力、皆さんが課せられている仕事の、職場における実力、力をつけることであろう。               (続く)

 

◎ 暗誦聖句 マタイ伝一二章三〇節

 

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