◆ ロマ書の学び(303)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年一〇月一一日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  相互(あいたがい)に心を同じうし、高ぶりたる思いをなさず、 反(かえ)って卑(ひく)きに附(つ)け。汝ら己(おのれ)を聡(さと)しとすな。=@
    ロマ書一二章一六節

   同じ職場の未信者は飲みに行ったり遊びに行くが、いつもそれに加わらないために、「あいつは変人だから。」と陰口をたたかれ「職場にあっていつも迫害を受けています。」という人もいるだろう。ある面では未信者と行動を共にできないかもしれない。

  しかし、時には自分の側から積極的に未信者とつきあっていくことも大切ではないだろうか。親切な言葉をかける、自分が誠心誠意その職場を明るくしていこう、正しい方へ導いていこうとする、影の努力をしなければ証(あかし)はできない。

  毎週日曜日に教会へ行くことは、たいへん良いことなのである。けれども、だからといってそのために自分が職場においてルーズな仕事をしているならば、かえってそれはせっかくの証をこわすことになる。

  くどいようだが、クリスチャンは学校で勉強する時も、家庭で仕事をする時も、職場で働くときも、どんな時にも神様にお仕えするように最大限の努力をしなければならない。

  ロマ書一二章九節には愛には虚偽(いつわり)あらざれ、悪はにくみ、善は親しみ、≠ニある。でもだからといって聖句を極端にとらえてはならない。「悪は憎み≠セから、未信者は罪人なので、社長をはじめ会社の社員みんなを憎みます。みんなとはつきあいません。」では話にならない。それでは聖書の教えを正しく理解しているとはいえない。

  近年、大きな会社や歴史のあるお店がいくつもつぶれたり、営業停止処分になった。賞味期限の偽造が原因の会社が多くあった。

  なぜ従業員が一人でも「それは良くないから。」と反対しなかったのだろうか。誰かが反対してストップしていれば、ここまで大事(おおごと)にはならなかっただろう。もし、クリスチャンの従業員がいたらどうだったであろうか。それこそ悪には遠ざかり、善に親しみ≠ナある。たとえ自分がクビになる可能性があったとしても、正しい事を主張して、自分がそこに置かれた神様からの捨て石になっていたことだろう。あなたは果たしてそのような意識をもって職場にいるだろうか。

  次から次へと出てくる不祥事にがっかりする。表(おもて)ざたになっただけでもトマト、牛肉、豚肉の産地偽装ということがあった。人に見られなければ何をしてもいいという考えがその土台にあるのではないだろうか。

 

 

◎ 暗誦聖句 列王紀略上一七章一四節
その桶(おけ)の粉はつきず その瓶(びん)の油は絶(たえ)ずと。=@

 

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