◆ ロマ書の学び(305)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年一〇月二五日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  愛する者よ、自(みずか)ら復讐(ふくしゅう)すな、ただ神の怒(いか)りに 任(まか)せまつれ。録(しる)して『復讐するは我(われ)にあり。我これ を報(むく)いん』とあり。『もし汝の仇飢(あたう)えなば之(これ)に食(く)わ せ、渇(かわ)かば之に飲ませよ。』
      ロマ書一二章一九〜二〇節

  その晩も教授はぐっすりと休んでいた。ところが深夜三時、けたたましく鳴る電話にとびおきた。「お前の家の犬たちが毎晩吠(ほ)えてうるさくて眠れない。なんとかしろ。毎晩だぞ。人の迷惑も考えろ。早く対策をとれ。」隣人からの苦情の電話であった。「あれだけの犬が夜中に吠えて吠えて、夜寝られないようで、申し訳ありません。」と教授は答えて電話を切った。翌日深夜三時、今度は教授が電話をかけた。「もしもし、昨日電話を頂いた隣の教授ですが、家には犬はいません、犬は飼っていません。」と言ってガチャンと電話をきった。

  他愛のない復讐であるが、何も夜中の三時にかけなくても、と思う話である。夜中に相手が電話をかけてきたから、あえて自分も夜中に電話をかける。これは人間の本能的な反応ではないだろうか。相手に悪いことをされたから今度は自分が仇(かたき)をとってやろうとする。

  私はこの復讐のことを考えながら、アメリカが行ってきたことを考えてみた。はたして、アメリカはあそこまでやる必要があったのだろうか。

  たとえば、日本では原子爆弾(げんしばくだん)をおとされて多くの人が犠牲となった。この件は、アメリカでもまだ解決されていない。アメリカにおいても、クリスチャンの間で大きな議論になっている。原子爆弾によって多くの人を犠牲にした。一方では、それがなければもっと多くの人が死んでいくという忌(い)まわしい戦況が続いたであろう。

  日本人の犠牲を少なくするためにあれは必要であったと言う議論がある。確かにある面では、天皇はあの原爆投下によって軍部の反対を押し切って降伏の宣言をした。

  では、テロ撲滅(ぼくめつ)のための戦争はどうだろう。九・一一事件以降のアフガニスタン攻撃。ある意味で、タリバン政権が、アメリカの政権に宣戦布告したのだから、売られたけんかを買ったと言えるかもしれない。戦地でもない所で、多くの無実の民間人を巻き込んで行なったテロ行為であった。それを先導したテロリストを捕まえて差し出せ。との要求に対し「自分たちはタリバンをかくまう。」という行為で戦線布告した。戦争は、民間人をも巻き込んで多くの犠牲者を出した。今も多くの血が流されている。心を病(や)む人が増え続けている。  (続)

 

◎ 暗誦聖句 暗誦聖句 マタイ伝一三章三一節
「天国は一粒の芥種のごとし。」

 

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