◆ ロマ書の学び(307)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年一一月八日号
         ▽ み言葉に生きる

 

   愛する者よ、自(みずか)ら復讐(ふくしゅう)すな、ただ神の怒(いか)りに 任(まか)せまつれ。録(しる)して『復讐するは我(われ)にあり。我これ を報(むく)いん』とあり。『もし汝の仇飢(あたう)えなば之(これ)に食(く)わ せ、渇(かわ)かば之(これ)に飲ませよ。』             ロマ書一二章一九〜二〇節

  蒋介石(しょうかいせき)の書いた証(あかし)の中に「私は『敵をゆるす』ということをイエス様から学んだ。」とある。

  もし日本が中国に対して、賠償金(ばいしょうきん)を払(はら)うならば大変な金額であったろう。それで事(こと)は解決したかというと、実は蒋介石個人が判断したことは、多くの中国人から猛烈(もうれつ)に反発された。一個人の決断と国としての決断とは違うものがある。

  では、賠償金を支払わなくてすんだ日本人はどうだったろうか。日本人のうち何人が蒋介石の証を聞いて「すばらしい」と、神様に心を向けただろうか。残念ながらほとんどの日本人は「『敵を愛せ』というイエス・キリストの教えに従って日本をゆるす。」と言った蒋介石の言葉を覚えていないし、知らないのである。ここに、国と国との関係の難しさがある。中国が日本に多額の賠償を求めたとしても、日本は当然のこととして、支払いを続けなければならない。

  日本と同じ敗戦国(はいせんこく)のドイツとどこが違うのだろうか。ドイツには多くのクリスチャンがいる。特に迫害し、あの恐るべき殺戮(さつりく)を行ったユダヤ人に対しては、戦後六四年過ぎた今でもイスラエル国に賠償金を支払っている。自分たちはユダヤ人に対して生涯、償(つぐな)いを続けなければいけない、とドイツは今も賠償金を支払っているのだ。

  一方の日本人はどうかというと、償(つぐな)いどころか「援助します。」と言っては日本の企業を派遣(はけん)して利益はすべて自国に持ち帰っている、これが実体であろう。 日本人はなんと浅(あさ)ましい人種(じんしゅ)であろうか。なんと恐ろしい自己中心の姿であろうか。

  私たちは、他のクリスチャンやアメリカを責めるよりも、まず自分たち自身が本当に罪深い民族であるということを自覚しなければならない。自分の中にも同じ民族の血が流れているかと思うと、私は恥ずかしくて仕方がない。韓国でもフィリピンでも、初めて行く地では私はお詫(わ)びをして歩く。「日本人のしてきた恐ろしい悪行(あくぎょう)をどうぞゆるして下さい。」と。

  クリスチャン同士でも未信者と接する時でもキリスト・イエスの心を心とせよ。≠ニいう聖句を思い出そう。いつでもどこでも誰に対しても、特に同じ主イエス・キリストを信じる兄弟姉妹に対しては、家族として支え合い、祈りのうちに覚え合おうではないか。                      (続)

 

◎ 暗誦聖句 マタイ一三章一六節
されど汝らの目、なんじらの耳は、見るゆえに、聞くゆえに幸福(さいわい)なり。

 

本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。