◆ ロマ書の学び(309)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年一一月二二日号
         ▽ み言葉に生きる

 

凡(すべ)ての人、上にある権威に服(したが)うべし。そは神によらぬ権威なく、あらゆる権威は神によりて立てらる。この故に権威にさからう者は神の定(さだ)めに悖(もと)るなり、悖(もと)る者は自(みずか)らその審判(さばき)を招かん。

  長(おさ)たる者は善(よ)き業(わざ)の懼(おそれ)にあらず、悪(あ)しき業(わざ)の懼(おそれ)なり、なんじ権威を懼(おそ)れざらんとするか、善(ぜん)をなせ、然(さ)らば彼より譽(ほまれ)を得(え)ん。

  かれは汝を益(えき)せんための神の役者(えきしゃ)なり、然(さ)れど悪をなさば懼(おそ)れよ、彼は徒(いたず)らに剣(つるぎ)をおびず、神の役者(えきしゃ)にして悪をなす者に怒(いかり)をもて報(むく)ゆるなり。されば服(したが)わざるべからず、ただに怒(いかり)の為(ため)のみならず、良心のためなり。
          ロマ書一三章一〜五節

  新築の家に落書きをされ塗り直したところをまた落書きされたというニュースが一時期新宿や各地で報じられたことがある。また車庫に入っている電車の車体にペンキで落書きをされたりした。こういう落書きをする人は、自分の気分がスカッとするからとか、絵の勉強だなどと理由づけをするが、とんでもない心得違(こころえちが)いである。こういう人たちに自分でペンキを落とさせ、元のように修復させて弁償させることはたいへん大事なことだと思う。当時は教会の白壁をやられることを心配した。

  昔から公衆便所や学校の黒板に落書きをするということはあった。しかし、最近ではペンキでやるからどうしようもない。また、盗んだ自転車を公園にポイッと放っていく連中もしょっちゅういる。教会近くの公園でも、放りっぱなしになっている。

  こういう世相を見ると、親は「学校の教育がなっていない」と言う。学校の先生にもっと道徳教育をしてもらわなければいけないと。でもそれは間違いである。神様は、お父さんお母さんに子供を正しく育てる責任と親としての権威をお与えになった。そして子供は親に従うこと、これが神様がおたてになった秩序である。

  また家庭内においては、妻は夫に従うという神様がおたてになった家庭内における秩序がある。「そんな古臭いこと!」と、反発されるかも知れない。特に女性の皆さんは、「ダンナが高収入で、立派な仕事をして、思いやりがあって、家庭を大事にしてくれて、掃除もしてくれて、私が買い物に行く時には車で送迎してくれて…」などと、いろいろと注文をつけて「そういう立派なダンナだったら、私は尊敬します。従います。」と言うかもしれない。

  しかし、そんなことは聖書は言っていない。                         (続く)

 

 

 

◎ 暗誦聖句  マタイ伝一三章二三節

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