◆ ロマ書の学び(311)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年一二月六日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  九・一一事件のテロの際に、イスラム教原理主義のテロ行為をする連中とキリスト教の根本主義者は同じで危険だと決めつけた新聞記事に対して、編集長と、新聞社の人権擁護委員会の両方に手紙を出した。そして私達が憲法で保障された信仰の自由を覆(くつが)すような誹謗記事に対して、私達は抗議を申し上げるということを書いた。    

  初めから抗議というのではなく、「私達は長い間、御紙の購読をしている。私の場合は、父の代からそうである。日頃、喜んで読んでいる新聞がそうしたことを書くことに心を痛めている。」と、穏やかな感じで書きすすめ、さらに「私達クリスチャンは、聖書の中から凡ての権威に従うように教えられている。だから政府を転覆するとか、他の人を傷つけるとか、あるいはテロを起こすなどということは聖書での教えに反することだから、することはない。私達はこの社会において平穏な、人々の幸せを願う信仰者の群れである。」と、書いた。    

  この前お話ししたように、A新聞の大阪本社からはその記事を担当した編集のトップの方が飛行便でわざわざお詫びにこられた。権威を重んじるということは、何でも自分の意志を通すというのではない。あるいは「何でもかでも、国が決めたから従う」というのではない。聖書の基準に従い、正しいことをしっかり相手にわかってもらう努力をすることは、権威に逆らうことではない。私達はただ盲目的に何でもかんでも政府のいうことには従うということではない。これからさらにクリスチャンの原則的な行動のあり方について、ご一緒に考えていきたい。    

  されど我らの国籍は天にあり、我らは主イエス・キリストの救い主として其(そ)のところより来りたもうを待つ
    ピリピ書三章二〇節    

  父は我らを暗黒(くらき)の権威より救い出(いだ)して、その愛(いつく)しみ給う御子の国に遷(うつ)したまえり
    コロサイ書一章一三節    

  然(さ)れば、われ第一に勧(すす)む、凡(すべ)ての人のため、王たち及び凡(すべ)て権を有(も)つものの為におのおの願(ねがい)、祈祷(いのり)、とりなし、感謝せよ。是(これ)われら敬虔と謹厳(きんげん)とをつくして安らかに静(しずか)に一生を過ごさん為なり。斯(か)くするは美事(よきこと)にして、我らの救い主なる神の御意(みこころ)に適(かな)うことなり。神は凡(すべ)ての人の救われて、真理を悟るに至らんことを欲し給(たも)う。=@      
    テモテ前書二章一〜四節    

  汝かれらに、司(つかさ)と権威ある者とに服(ふく)し、かつ従い、凡ての善き業(わざ)をおこなう備えをなし。
     テトス書三章一節    

       ( 続 く )    

 

◎ 暗誦聖句 マタイ伝一三章七節
茨(いばら)の地に落ちし種あり、茨そだちて之(これ)を塞(ふさ)ぐ。=@  

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