◆ ロマ書の学び(312)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇〇九年一二月一三日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  凡(すべ)ての人、上にある権威に服(したが)うべし。そは神によ らぬ権威なく、あらゆる権威は神によりて立てらる。
・・・畏(おそ)るべきをおそれ、尊(とうと)ぶべき者をとうとべ。
ロマ書一三章一節・七節    

  ペテロ前書二章一三節から一七節には、主のためにすべての制度に従うようにということが書かれている。権威に逆らう者は神の定めに悖(もと)る(=道理に背(そむ)く、逆(さか)らう)。ここで使徒パウロはたいへん大事なポイントを述(の)べている。国をおさめる政府は、ただいたずらに剣(つるぎ)を身に帯(おび)ているのではない。    

  社会に害をもたらす者に対して裁きを下(くだ)す機関である。当然、世界の国の中には様々な主義、主張がある。民主的でない国、暴虐的(ぼうぎゃくてき)、閉鎖的な国、人民に対してひどい仕打ちをする国家もある。現実に世界を見渡した時に、すべての国が平和で民主的な国家だとは言えない。それでもなお、私達はクリスチャンとして国の権威に従うことが要求されている。    

  では、どこからどこまで国の権威に従うべきだろうか。何でもかんでも国のいいなりで「ハイ。ハイ。」と従うことではない、ということがここで述べられている。    

  第一の前提条件としてクリスチャンにとって大事なことは、国を治める政府、国家に対してこうした権威というものは人間が作ったものではなく、神様が秩序の段階として権威としてお与えになったものだということが第一。クリスチャンにとって大事なことは、反抗的な態度で臨(のぞ)んではいけないということである。    

  子供が親に反抗的な態度をとり「嫌(いや)だ、嫌だ!」と、親にはむかっていく。親が子供のためと思って教えていることを「いやだ、こんな家飛び出してやる!」と言って、家出をする息子や娘が多くいる。   

  親は子供に一番良いことをと思って心を砕き、犠牲を払って子供を育てる。親の言うことに対して自分がどうしても従うことができなければ、「お父さん、聞いて下さい。私はこう考えます。」あるいは「お母さん、私はこういう風に考えているんですが、間違いでしょうか。」という具合に親と会話をすることが大事である。    

  家出をする少年・少女は、ほとんど親との交流がない。親は、子供にお金を与えておけば子供は自分でおやつを買い、一人でもやっていくだろうと、お金で子供を育てようとする。日本で平均的、親子の会話の時間は一週間にわずか一時間だとのこと。愛情を感じないのにただ親の権威を主張する者に対して、子供は従う事ができないわけである。    

  やはり親は口先だけではなく、身をもって子供を守り愛するということが、たいへん大事なことである。        (続く)    

 


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