◆ ロマ書の学び(313)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年一月三日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  すべての権威は神様がお与(あた)えになった秩序である。しかし政府の形態は、共産主義、民主主義、独裁主義など様々で、人間の作った政府や政治には多くの問題があることは否定できない事実である。けれども無政府状態(=アナーキズム)は、決して国を正しく治めていく状態ではない。この無政府状態が旧約聖書の士師記(ししき)の中に出てくるが、人々は自分勝手なことをしていたため、国内には多くの問題が起きた。政府は悪いことをした者、泥棒をしたり人殺しをした者を捕(つか)まえて裁(さば)くという権限を持つ(ロマ書一三章一〜五節)。

  なぜ私達が政府に従わなければいけないのか。第一の理由は、権威が神様からきたものだからだ。第二に、裁きをすることもまた、神様が国の政府に権限を委(ゆだ)ねていらっしゃるからである。第三に、クリスチャンの良心、私達の良心のゆえに権威を重んじるということはたいへん大事なことであるからだ。

  みんなで楽しく会話をしながら食事をしているところに、いきなり警察が来て「こっちへ来い!」と引っ張っていったとしたら大変な事態である。法治(ほうち)国家においては憲兵(けんぺい)がいきなり土足(どそく)で入ってきて何の罪も犯(おか)さない者を連行(れんこう)することは、まずない。しかし、今から六十数年前の日本では、キリスト教徒は官憲によって摘発(てきはつ)されていた。太平洋戦争の時代の日本には特高(とっこう)警察があり、信仰の自由を奪(うば)っていた。「キリスト教徒はアメリカと通(つう)じている。」「スパイ活動をする。」と言って特高(とっこう)警察が土足で入ってきたのだ。共産主義者はもちろん、キリスト教徒の中にも国家権力によって、獄中で命を落とした人々がいた。

  「さらばカイザルの物はカイザルに、神の物は神に 納めよ。」。=@
   マタイ伝二二章二一節

  イエス様は「シーザーのものはシーザーに返しなさい。」とおっしゃった。税金を納(おさ)めるべき時には、きちんと税金を納めなさいと言われたのである。クリスチャンは教会で献金するから税金を納めなくてもいい、とは言っておられない。すると、こんな風に考える方もいらっしゃるだろう「私達は所得税をはじめ、いろいろな税金を差し引かれる。そのうえ教会に行くと、『献金だ。献金だ。』と言われて他の人より損(そん)ではないか。」と。決して損ではない。私達が神様により頼んでいる時に、神様は必要な物をちゃんと備えて下さる。税金を納めることはすべての国民の義務だ。そして自分達が収入の十分の一を神様にお返しする、これも当然の義務である。 神様が私達の必要のすべてをまかなって下さるという約束のもとに、日々の生活が神様によって支えられているということを覚えて頂きたい。      (続く)

 


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