◆ ロマ書の学び(314)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年一月一〇日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  すべての人、上にある権威に服(した)がうべし。そは神 によらぬ権威(けんい)なく、あらゆる権威は神によりて立てら る。=@            ロマ書一三章一節

  有名な聖書学者チャールズ・ハッジはロマ書の注解書の中でたいへん大事なポイントを書いている。クリスチャンは一般生活において、その国を治める政府の方針に従って行動し、権威を重んじる。しかし、ひとたび神様の御心(みこころ)に反したことを国の政府が要求した時には、政府、人間の考えよりも神様の御心(みこころ)を最優先にする、という内容である。

  かつての中国のように「五歳以下の男子は全員、政府が国で教育し共産主義者にするから、子供は国に差し出しなさい。」と命令されたら、どうだろう。断固として断り反対するか、それとも差し出すだろうか。 私たちは、クリスチャンの良心に従って、神様のご命令に反することに対しては、たとえ政府の権威であっても、それに従わない。神様の御心(みこころ)がはっきりとわかっていることに対して、たとえば罪のない人々を殺すとか、命を奪(うば)うだけでなく略奪(りゃくだつ)するという行為(こうい)に参加するように求められた場合には、それをしない、ということだ。

  以前、『リーダース・ダイジェスト』に南米のジャングルに民間航空機一機が墜落し、十数名がジャングルの奥深くに取り残された時の体験談が掲載された。飛行機の中にはわずかな食料しか残されていなかった。取り残された人達の中には、医者と看護婦が一人ずつ、クリスチャンが二人ほどいた。食料が底をつき、墜落のショックと出血、飲まず食わずの日々が続き、一人、二人と亡くなっていった。

  灼熱(しゃくねつ)の太陽のもと、人々は飢えと乾きに苦しめられた。周りを見ても、食べ物は何もなく、医者が言った。「このままだと全員死んでしまう。助けを求めようにもこのジャングルではどうしようもない。少しでも生き延びるためにはタンパク質が必要だ。」と。そして、遺体を切り刻んで日に干し、生きるためにそれを食べた。その後の記事は、恐ろしい状況を伝えている。干した人肉を食べつくしてしまうと、今度は死者ではなく生きた者を処理していこうとなってくる。その時クリスチャンは、「私はたとえ死んでも、それを食べることはしません。」と言った。大きな戦いがあった。

  やがて救援隊に見出されて干(ひ)からびた生存者が救出されたわけだが、その情景はあまりにも壮絶であったので当時、公表されなかったという。長い年月を経て、生存者は記録のために初めて重い口を開いたのである。 (続く)

 


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