◆ ロマ書の学び(320)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年二月二一日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  凡(すべ)ての人、上にある権威(けんい)に従うべし。そは(ワ)神によらぬ権威なく、あらゆる権威は神によりて立てらる。
     ロマ書一三章一節

  多くの女性の皆さんが結婚なさってから、家庭生活について疑問に思うことだと思う。しかし、使徒パウロは汝の夫を敬(うやま)え。夫に従え。=iエペソ五章二二節、コロサイ三章一八節)と、繰(く)り返し教えている。また、ペテロも同じように教えている。

  妻たる者よ、汝らもその夫に従え。たとい御言(みことば)に 遵(したが)わぬ夫ありとも、汝らの潔(きよ)く、かつ恭敬(うやうや)しき行 状を見て、言(ことば)によらず妻の行状(ぎょうじょう)によりて救いに 入(い)らんためなり。
      ペテロ前書三章一節

  しかし、「えっ。うちのだんなみたいに、あんなぐうたらなだんなを敬うんですか。あのどうしようもない、怠(なま)け者の夫に従わなければいけませんか。」と疑問(ぎもん)が出てくる人がいるかもしれない。仮にあなたの夫が、飲んだくれ、ばくちが好き、給料はうちに運んでこない、そんな人だったとする。どうして生活できるだろうか。「こんなだらしのない夫に、それでも私は従わなきゃいけないのでしょうか?」答えは「はい(YES(イェス))。従わなければいけません。」である。どんなにだらしないご主人であっても、神様は夫を一家の家長(かちょう)として、据(す)えていらっしゃる。夫が一家(いっか)の権威である。

  しかし、その権威はそれで終わってはいない。夫は誰に従うべきか。当然、国の方針に従わなければいけない。それ以上に国は、神様の正義に従うという義務と秩序(ちつじょ)がある。この神様がお立てになった秩序、平和を維持(いじ)するための秩序を重(おも)んじなければならない。

  では、盲目的(もうもくてき)に夫の言うことに何でも従うべきだろうか。時(とき)にはクリスチャン、信仰者として、ぶつかることも出てくるだろう。たとえば夫に「馬券(ばけん)を買うから一緒に競馬(けいば)をやれ。」と言われたら「それは神様に逆(さか)らうことになるから、私はクリスチャンとしてそういうことはできません。」と言わざるをえない。

  もしも、信仰の面でどうしても夫に従うことができないときは、神様を第一にしなければいけない。 とは言うものの、私たちが信仰第一にして、ご主人に毎日、朝から晩まで逆らわなければならないほど、ご主人が神様に敵対するかというと、そうとも限らない。

  私たちは何かにつけて未信者の夫がやることはすべて悪いと考えてしまうのであるが、自分の信仰の根本的な問題でない限り、できるだけ夫をたてて夫に従っていく。これが夫を敬(うやま)う態度である。たとえ、不信仰な夫であろうと、妻の敬虔な行状によって、夫が悔(く)い改(あらた)めに導かれることがあるだろう、と使徒パウロはコリント人(びと)への手紙の中で教えている。「うちの主人はうちの主人、私は私。」こんな態度を続けるなら、いつまでたってもご主人をキリストの元(もと)に導くことはできない。(続く)

 

◎ 暗誦聖句 使徒行伝四章一九節
ペテロとヨハネと答えていう『神に聴(き)くよりも汝らに聴くは、神の御前(みまえ)に正しきか、汝ら之(これ)を審(さば)け。』

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