◆ ロマ書の学び(324)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年三月二一日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  「愛」は数字で換算(かんさん)できないものである。あなたが父親あるいは母親から受けた愛情は、お金やはかりで測(はか)ることはできない。「私は大学に行くまで、親に二〇年間世話になった。だから仕事をして親が年をとったら、きっちり二〇年間分介護をすればその責任は終る。あとは面倒をみません。二一年目からはお父さんもお母さんも、自分達でやってください」。そんなことはありえない。子供が親の面倒をみたとしても、たとえどんなに自分たちが努力をしても、親が子供の面倒をみるほどの愛情を注ぐことはできないであろう。

  ご両親が、あなたが大きくなるまでにどれほどあなたに対して愛情を注(そそ)いできたかを考えてもらいたい。どんなに苦労を重(かさ)ね愛情を注(つ)ぎ込んできたかを。それは親の勝手だ、と言う人がいるかもしれないが、それはまちがいである。愛情はお金で換算することができないほど尊いものである。親は本当にとことん自分を犠牲にしてでも子供に生命(いのち)を注(つ)ぎ込むのである。

  霊魂(たましい)をあがなうには費(ついえ)いと多くしてこの事(こと)をとこしえに捨置(すておか)ざるを得(え)ざればなり。=@ 
詩篇四九篇九節

  生命(いのち)は、お金でその代価を払うことができない、と書かれている。生命を贖(あがな)うには価(あたい)が多すぎる。生命の価値、値段は高すぎて神様にそれをお返しすることはできません、という意味である。

  借金(しゃっきん)であれば計算ができるし、利息(りそく)をつけて借金のいくらかをお返しします、ということもできよう。しかし、愛というものは計算ではお返しできないものだとパウロはここで言っているのである。

  汝等(なんじら)たがいに愛を負(お)うのほか何をも人に負うな。人を愛する者は、律法(おきて)を全(まっと)うするなり。…愛は隣(となり)を害(そこな)わず、この故(ゆえ)に愛は律法の完全(まったき)なり。
   ロマ書一三章八、一〇節

  F・B・マイヤー師の註解書(ちゅうかいしょ)は日本語にも数多く訳されている。このマイヤー博士は、バプテストの伝道者として長い間イギリスで伝道していた。今から一六三年前の一八四七年にイギリスのロンドンで誕生した。七歳でイエス様を信じ救われて、一六歳の時に神様から召(め)しをいただいて伝道者になる道を歩いた。

  彼の父親は手広く事業を営んで商売をしていた。マイヤー家では子供達も食器は銀のスプーン、フォークを使っていたという。私たちから考えるとうらやましく思う点もある。ところがマイヤー博士が幼い時に、経済的不況が襲ってきて父親の仕事がうまくいかなくなってしまった。
  (続)

 

 

◎ 暗誦聖句 マタイ伝二六章一二節
この女の我(わ)が體(からだ)に香油(においあぶら)を注(そそ)ぎしは、わが葬(ほうむ)りの備(そなえ)をなせるなり。

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