◆ ロマ書の学び(327)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年四月一八日号
         ▽ み言葉に生きる

 

 

  兄弟の前に妨碍(さまたげ)または躓物(つまずき)を置かぬように心を 決(さだ)めよ。・・・なんじらの善(よ)きことの譏(そし)られぬように せよ。
   ロマ書一四章一三節

  イエス様を信じて自分の生活が新しくなるという時に、自分がこれまで楽しんできたものをどこまで捨てたら良いのか、ときっと多くの方が迷われたことだろう。あるいは、自分の楽しみを捨てることなく、そのままのペースで生活するのは良いことだろうか、という問題に突き当たる方もいるだろう。

  日本ではあまりないが、アメリカでは、いわゆる頭に一文字がついたようなコーヒー好きの人たちがいる。イエス様を信じる前からコーヒーが好きで、朝から晩まで四六時中コーヒー、コーヒー。コーヒーがなければ一日も生きていけないような人たちである。彼らに対して、あるグループの人たちは「コーヒーは非常に刺激性が強く、習慣性があるから、コーラと同じようにそれを飲み続けることは良くない。」と批判する。実はクリスチャンの中でも、一時期たいへん大きな論争になったことがある。

  五〇年近くも前だが、アメリカのコロラド州で児童伝道をやっていた時のこと。六、七名のチームでバス伝道を行ったが、その中の一人は私たちの通っていた大学と違った学校の出身者であった。チームの何人かがコーヒーを飲むと「あなた達は堕落(だらく)している。」「クリスチャンはコーヒーを絶対飲んではいけない。」と真顔(まがお)で非難した。後のボブ・ジョーンズ大学神学部長ウィズダム兄が、懇懇(こんこん)と説(と)き明かして「クリスチャンだからといって、コーヒーをやめなければならない理由はない。」と話したのを覚えている。

  あなたは、イエス様を信じてから食べ物や飲み物に関して疑問をもったことはないだろうか。ある人達は、クリスチャンであっても酒、タバコなどの嗜好品(しこうひん)をやめる必要はないと考える。私たちは、クリスチャンは健康と証しのために酒とタバコは遠ざけた方が良いと考えている。タバコについては聖書には何も記されていない。だから、愛煙家の人たちはタバコや葉巻などをすっても問題ないと考えたがる。けれども、タバコは聖書が書かれた当時には、世界的にも広まっていなかったし、健康に有害だということも知られていなかった。聖書全体の指(さ)し示すことと、聖書の記された時代背景を考慮しながら判断すべきテーマである。
      ( 続 く )

 

◎ 暗誦聖句 ヨハネ伝二〇章二一節
平安なんじらに在(あ)れ。父の我を遣(つかわ)し給(たま)えるごとく、 我(われ)もまたなんじらを遣(つかわ)す。

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