◆ ロマ書の学び(329)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年五月二日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  兄弟の前に妨碍(さまたげ)または躓物(つまずき)を置かぬように心を決(さだ) めよ。…汝らの善(よ)きことの譏(そし)られぬようにせよ。=@
 ロマ書(しょ)一四章一三節

  イエス様が十字架にかかられ復活(ふっかつ)された後、新しい契約(けいやく)の時代がやってきた。旧約から新約の時代への幕開けである。使徒行伝(しとぎょうでん)一一章には、ペテロが祈っていて夢心地(ゆめごこち)になり、天から大きな布のようなもので四(よ)すみをまとめた物が降りてきた幻(まぼろし)の記事が書かれている。

  神様が「カゴの中の物を食べよ。」とおっしゃったが、ペテロは「汚(けが)れた物を食べることはできません。」と申し上げた。すると神様は「私がきよめた物を汚れた物と言ってはいけない。」とおっしゃった。

  これは実は、ユダヤ人以外の世界中の人々に福音を伝えるという大きなヴィジョンのあらわれであったわけである。(使徒行伝一〇章九〜一六節)古い契約、つまり旧約時代には、私たちが考えることができないような衛生的(えいせいてき)な問題があった。

  北海道の人は、豚(ぶた)や牛よりも羊(ひつじ)の肉を好(この)む傾向(けいこう)がある。私がはじめて北海道で羊(マトン)料理をいただいた時、血がにじむ物はあまり好きではなかったため、生(なま)焼(や)けだからと躊躇(ちゅうちょ)していると「先生、羊の肉は大丈夫です。豚と違って、ばい菌がないから食べられます。」と言われた。聖書を見ても、羊の肉は雑菌が少ないようである。

  日本人が牛肉を食べるようになってまだ歴史が浅いとか。「牛肉を食べると牛のようになる。」と言ってたいへん恐(こわ)がられた時代があった。文明開化と言われる時代になって、ようやく牛肉を食べ始めたと言われている。

  信仰は、毎日の生活の中に起こってくる出来事で意外とつまづきやすいものである。また「あんなことをした。」と言っては他の人たちを裁(さば)くということも起こってくる。仮(かり)に、牧師あるいは宣教師が酒屋に入ってウイスキーやビールを買っているのを見たら「あの教会の先生は、ちょっとおかしいんじゃないか。」と、つまづきの原因ともなろう。

  洋食の店に行くと、ステーキを焼く時などに、ワインをかけてボッと燃やしてアルコール分を飛ばして肉を軟(やわ)らかくする手法(しゅほう)を用(もち)いたりする。ある人は、どんな形でもアルコールを使用することは罪であると考える。一方、別の人たちはアルコール分を飛ばしてしまうから問題ないと考える。

  使徒パウロは、ロマ書だけでなくコリント人への手紙の中でも食べ物についてたいへん細(こま)かく教えを書いている。特にクリスチャンの間で肉を食べることについての論争(ろんそう)があったことがわかる。これは、ローマやコリントがおかれていた特別な状況と関(かか)わりがあった。           
 ( 続 く )

 

◎ 暗誦聖句 マタイ伝二八章一九節

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