◆ ロマ書の学び(335)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年六月一三日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  我が愛する者よ、偶像を拝(はい)することを避(さ)けよ。
      コリント前書一〇章一四節

   聖書には、この世の中にたたりをくだすような神仏・偶像はあり得(え)ないと書いてある。「うわぁ。これだ!」と思った。実は、私たち日本人は、偶像やたたりなどというものにがんじがらめになっている。 けれども、「真(まこと)の創造主(そうぞうぬし)であられる天地万物(てんちばんぶつ)をお創(つく)りになった神様以外に神はいない。」と聖書は教えている。だから偶像なるものは存在しないし、動物が憑(つ)いたり、祟(たたる)ことなどありえない。

   「いやぁ。毎週のようにテレビの中で『あの人を呪い殺してやる。』と、わら人形を作ってガンガン大きな釘や針をうちつけているじゃないですか。」と言うかもしれない。しかし、それは人間の憎しみや呪(のろ)いであって神の力ではない。だが人は、偶像を人間の力をはるかに超えた存在と考える。

  日本人がよく口にする「今日は、ついている。」と言う言葉は、民(※)俗学的にはタヌキやキツネの霊が乗り移っている、という意味で使われる。だから、この言葉は口にしない方がよい。神様は、人間が神様と交わるために人間だけに霊をお与えになられた。そのため、動物の霊が人間にとりついて何かをすることはない。

  なんじら信仰の弱き者を容(い)れよ。<鴻}書一四章一節

  聖書の知識がたくさんあっても、愛がなければいけない。愛は自分だけでなく他人の徳をも建てるからである。知識は人を誇らしめ、愛は徳を建(た)つ。
       コリント前書八章一節後半

  たとえば、救われたばかりの若い女性が、あまり服装に注意を払わないで集会に来ていたとする。長年にわたり信仰生活を守ってきた女性がそれを見て「ちょっとこっちに来て!あなたの服装は何ですか。下着がはだけて見えるような短いスカートをはいて!」と怒(おこ)ったとしたらどうだろう。

  確かに救われてクリスチャンとなった時点から、言動や服装、立ち居振(いふ)る舞(ま)いに気を配(くば)ることは大切である。しかし、いきなり叱(しか)るのではなく、まず「クリスチャンは、きちんと神様の御栄(みさか)えを現(あらわ)すような整(ととの)えられた身だしなみをすることが大切ですよ。」と教えることから始めなければいけない。

  「姦淫(かんいん)の罪を犯(おか)させるような服装や立ち居振(いふ)る舞(ま)いをしないように気をつけましょう。下着やおへそや背中、お尻が見えるような服装は、決して徳をたてるものではありません。」と優しく教えていくことが大切である。
       ※「民俗学事典」(柳田國男監修)   ( 続 く )

 

 

◎ 暗誦聖句 エペソ書六章一一節

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