◆ ロマ書の学び(338)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年七月四日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  されば今より後(のち)、われら互(たがい)に審(さば)くべからず、寧(むし) ろ兄弟のまえに妨碍(さまたげ)または躓物(つまづき)を置かぬように心を決(さだ)めよ。=@  
     ロマ書一四章一三節

  「クリスチャンの信仰の自由」とは何か。あなたは自宅において、食べる物、飲む物そして着る物に気を使っているだろうか。たとえば、私の家庭で食卓に自分のあまり好きでない物が出され「こんな物、食べられるか。」と家内とけんかをしていたとする。そこへ、たまたま「すみません。先生、ちょっと教えてください。」と信者さんがやってきて私が家内(かない)とけんかをしているのに遭遇(そうぐう)したとする。「ああ。牧師も食べ物のことで、こんなけんかをしているのか。」と、その信者は驚き、あちこちで話すことだろう。人は、そういう影響を受けやすいのである。だから、私たちの行動が誰かのつまづきにならないように注意することが大切である。

  たとえ質素で粗末(そまつ)な食物であったとしても、私たちが祈って感謝しつつ喜んで分け合いながら食べているならば、それを見た人は「ああ。あの人たちは本当にいつも神様に感謝し、神様に支えられているな。」と考え、証(あかし)となることだろう。

  私たちは、誰かに見せるために人前で何かをするのではない。けれども、私たちの信仰というものは内面から、心の内側から出てくるものである。誰でも、その人の持っている雰囲気というものがあるという。人間の体からは、その人特有の体臭が出てくる。犬はその匂いをかぎ、自分の主人の匂いを覚えていく。

  神は何時(いつ)にてもキリストにより、・・・キリストを知 る知識の香(かお)りをあらわし給(たも)う。救わるる者にも亡(ほろ)ぶる 者にも、我らは神に対してキリストの香(こう)ばしき香りなり。=@     コリント後書二章一四〜一五節

  クリスチャンも毎日の生活の中で、クリスチャンの体臭(?)というか、キリストの香ばしい香りを放(はな)っていると思う。聖書には、キリストの香りを放ちなさい、と書かれてある。イエス・キリストを信じ永遠の生命を与えられた者は、イエス・キリストの香りを放ちなさい、と教えているのだ。

  もし皆さんの前に牧師が立った時、酒やアルコールの臭いが強くしたらどうだろうか。やはり、つまづきになる。「牧師、せめて日曜日くらい素面(しらふ)でいて下さいよ。」となるはずである。(そんなことは、ありえないが)食べ物は、決して人間の信仰生活に無関係なものではないことを自覚して生活しよう。 
    (続く)

 

◎ 暗誦聖句 ロマ書八章二節
キリスト・イエスに在(あ)る生命(いのち)の御霊(みたま)の法(のり)は、なんじ を罪と死との法(のり)より、解放(ときはな)したればなり。

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