◆ ロマ書の学び(343)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年八月二二日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  寧(むし)ろ兄弟のまえに妨碍(さまたげ)または躓物(つまづき)をおかぬように 心を決(さだ)めよ。
    ロマ書一四章一三節

  ギリシャ神話の世界に生きるコリントでは、神殿にささげられた肉はお下(さ)がりとして市場で売られていた。それは大変な特価であった。通常よりはるかに安い値段で売られていたから、コリントの教会の人たち、貧しいクリスチャンはそれを買っていた。パウロは、それについてコリント前書八章とロマ書一四章でとりあげ、大切なことを記している。この世の中に偶像なるものは存在しない。要(よう)するに、人間が心の中で「神様。仏様。」と拝んでいるのにすぎないのであって、世界をお治(おさ)めになるのは創造主(そうぞうぬし)である神様、真(まこと)の神様しかいらっしゃらない、ということを強調した。

   日本は「義理(ぎり)・人情(にんじょう)の国」と言われている。義理を欠(か)いてはいけない、人情が薄いようではいけない、ということを皆さんは子供の頃から教えられてきたと思う。それだけに、このロマ書一四章と一五章の学びは大切な部分であろうかと思う。

  世界各地を巡(めぐ)っていくと、どの国にも数多くの宗教があり、偶像崇拝(ぐうぞうすうはい)がさかんである。皆さんの実家(じっか)でも、地方では春秋の彼岸(ひがん)、あるいは収穫感謝(しゅうかくかんしゃ)ということで、さまざまな祭礼行事(さいれいぎょうじ)があると思う。その時には、普段なかなか食べられないようなごちそうが用意される。子供にとって、年に一回食べられるかどうかのごちそうは喉(のど)から手が出るほど欲(ほ)しいものである。そうした戦いは、いつもおそってくる。

  会社で働いている方は、一年か二年に一回、社員の慰安(いあん)として国内外(こくないがい)の旅行に行き、そこでたくさんのごちそうを目にすることだろう。あるいはパーティということでお酒も出る。いろいろな形で誘惑(ゆうわく)との戦いが出てくる。皆が乾杯(かんぱい)をする際に{@自分は飲まないけれども、形だけ、口をコップにつけるか。Aビールやウィスキーには手をつけず、ウーロン茶などでその場をしのぐか。B全くそういう場には出ないというのがいいことなのか。}

  どこで線を引くかは、皆さんにとっても難しい問題であると思う。ぜひ、よく考えて行動していただきたい。

  疑いつつ食(くら)う者は罪(つみ)せらる。=@ロマ書一四章二三節

  どんなことであっても自分の言動に対して信仰の土台、神様のお言葉に書かれた明確な基準があるならば、それに従うことが第一である。そうするなら、目に見える人たちの反対やあざけりの言葉、いやしむ心などが見えても皆さんは毅然(きぜん)とした態度をとることができる。(続)

 

 

 


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