◆ ロマ書の学び(347)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年九月一九日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  寧(むし)ろ兄弟のまえに妨碍(さまたげ)または躓物(つまづき)をおかぬように 心を決(さだ)めよ。=@
      ロマ書一四章一三節

  この世の中には、判断をくだすものがいくつかある。皆さんが所属する社会のとりきめ、規則、社会のしきたりや社会の目、国の法律や裁判(さいばん)などは、ひとつの判断基準であろう。しかし、忘れてならないのは、私たちをおつくり下さった神様の最高の裁(さば)きがあるということである。

  私たちは皆、善につけ悪につけ、まことの神様によって最終的な裁きを受ける存在である、と使徒パウロは書いている。神様によって私たちは裁かれる。パウロは多くのユダヤ人、同胞(どうほう)によって批難(ひなん)され、命をうばわれそうになった。異邦人(いほうじん)からも命をねらわれた。

  私たちをお裁(さば)きになるのは真の神様ただお一人しかいらっしゃらない。その神様の裁きこそ最高であり、最も公平であるということを今、心にとめていただきたい。

  たとえ私がいなくても、教会は続く。教会が存続理由を失う時が来るとするならば、この教会の伝道者や牧師が、聖書を信じなくなった時、妥協を持ち込む時、神様以外の人間を恐れる時である。私もいずれは神様のみもとへ、皆さんと別れなければならない時が来る。そういう時でも、この習志野バプテスト教会の基準は、いつも神様のお言葉である。畏るべきお方は神様以外にはない、ということを覚えて頂きたい。

  「じゃあ牧師。そんなに大きなことをおっしゃるけれども、日本の法律は守らなくていいのですか?」

   ロマ書一三章にあるように、法律は当然守る。この国の法律は守るけれども、法律を恐れてはいけない。この世の法律が神様の法律、律法(おきて)と相反(あいはん)することがあるならば、皆さんはどちらを選ぶだろうか。当然、神様の規範を選ばなければならない。

  そんな相反することはありえないとおっしゃるかもしれない。しかし、ほんの六二〜七〇年前、この国は軍部(ぐんぶ)によってすべてを支配された。多くのクリスチャンは、天皇を拝まないという理由(=不敬罪(ふけいざい))で牢(ろう)に入れられ、獄死したりした。何も牢に入れられたのは共産党員だけではなかった。キリスト教の牧師も投獄された時代があったのだ。

  日本は今、大変危険な方向にすすんでいる。私たちが思う以上に、この国の政治家がどんどんナショナリズムや、憲法改悪への道に進みつつあり、危険な状態になっているのだ。
     ( 続 く )

 

 

◎ 暗誦聖句 ピレモン書 一八節
彼もし汝(なんじ)に不義(ふぎ)をなし、または汝(なんじ)に負債(おいめ)あらば、之(これ)を我(われ)に負(お)わせよ

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