◆ ロマ書の学び(350)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年一〇月一〇日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  おのおの隣人(となりびと)の徳(とく)を建(た)てん爲(ため)に、その益(えき)を圖(はか)りて之(これ)を喜ばすべし。 キリストだに己(おのれ)を喜ばせ給(たま)わざりき。録(しる)して『なんぢを謗(そし)る者の謗(そしり)は我(われ)に及(およ)べり』とあるが如(ごと)し。夙(はや)くより録されたる所は、みな我らの教訓(おしえ)のために録ししものにして、聖書の忍耐(にんたい)と慰安(なぐさめ)とによりて希望(のぞみ)を保(たも)たせんとてなり。    ロマ書一五章二〜四節

  ロマ書の学びは「希望(のぞみ)の神」というテーマに入った。

  あなたは子供の頃、何か将来の夢や望みがあっただろうか。日本では「あなたは、大きくなったら何になりたいですか。」と聞かれると、女の子は看護師とかお嫁さんになりたいと答え、男の子はパイロット、野球やサッカーの選手になりたいと答えることが多い。子供の頃には、それぞれに「大きくなったら自分は何々になりたい。」という漠然(ばくぜん)とした願いを持つものである。

  やがて、中学、高校、大学に進むに従って「さあ、何になろうかな。」と迷い出す。けれども、様々な職業の中で、これぞと思われる仕事に就(つ)いて励(はげ)んでいる方々は、だいたい一〇代のうちに自分の将来すすむべき道を決(き)めているようだ。二〇歳を過ぎてもなおフリーターとして、手に職を持たず、職を転々としている人達は、なかなか良い仕事を見つけられないようだ。保険や保障の面でも現在問題になっている社会現象である。

  フリーターが二〇〇万人を超えるという。一体この先、彼らが四〇、五〇、六〇歳になったらどうするのだろうかと思う。「フリーター」というと聞こえはいいが、自分の好きな時間に休み、自分のしたいときに働き、自分が気に入らなければすぐにやめてしまうという、自分本位の仕事という思いがその裏にはあると思う。つい十数年前までは、余暇(よか)を使って働く事を「アルバイト」(ドイツ語で「働く」を意味する)と言った。最近では、アルバイトとは言わずフリーターという方が、いかにも格好よく聞こえる社会的な雰囲気がある。

  しかし、クリスチャンにはあまりフリーターにはなってほしくない。なぜなら、フリーターという生き方は、人生に確かな目当てを持たないことだからである。もっと自分の仕事に時間をかけ、修練を積み、研究や努力を重ねて、他の誰にも負けないような強い実力をつけることこそクリスチャンの証しであろうかと思う。何でもいいからと雇われるのではなく、「この仕事はあの人でなければできない。」と言われるような、確かな仕事を身につけることがたいへん大事なことだと思う。

 

 

◎ 暗誦聖句 詩篇 二七篇一〇節
我が父母(ちちはは)われを捨(す)つるともエホバ我を迎え給(たま)わん

本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。