◆ ロマ書の学び(351)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年一〇月一七日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  おのおの隣人(となりびと)の徳(とく)を建(た)てん爲(ため)に、その益(えき)を圖(はか)りて之(これ)を喜ばすべし。 キリストだに己(おのれ)を喜ばせ給(たま)わざりき。録(しる)して『なんぢを謗(そし)る者の謗(そしり)は我(われ)に及(およ)べり』とあるが如(ごと)し。夙(はや)くより録されたる所は、みな我らの教訓(おしえ)のために録ししものにして、聖書の忍耐(にんたい)と慰安(なぐさめ)とによりて希望(のぞみ)を保(たも)たせんとてなり。
     ロマ書一五章二〜四節

  職場にあって証しをたてようとする時、上の層が厚くてなかなか意見を言うことができないという経験があるかもしれない。けれども、もし皆さんが一つ、特別な技、技術を持っているならば、職場にあって「それは彼のところに行ったらいい。」となるわけだ。以前、新聞にある国会議員と外務省の役人がぴったりと癒着して問題になった事が報じられた。ある意味で、彼は「自分の特技をいかして」日本を右往左往させるような力を持ってしまったといえよう。

  クリスチャンが職場において証をしたいという時、もし皆さんの仕事が十分でなく、五〇〜六〇%くらいの仕事ぶりであるなら、どうであろうか。脇に追いやられてしまって、半端な仕事しかできなくなってしまうだろう。 昔から、「自分の才能や技術を磨くためには一〇年間修行を積め。」と言われた。あなたは、一〇年間我慢(がまん)できるだろうか。今では、三ヶ月ももたない。だから多くの会社では三ヶ月間は正社員でなく、試験雇用として新入りが続くかどうかを見る。その間はボーナスも出ない。

  何か自分の身につけたい、信仰のない人と比べて恥ずかしくない実力をつけたい、と思うなら少なくても一〇年は下積みの世界を通らなければならないと思う。これは決して個人的な自慢ではないが、私も十年以上一人の先生の下で小使い働きから始めて、四六時中その先生の教えを受けてきた。やがてこの先生がご高齢になられ、「私の後継者は君だ。」と言われるまでになったが、はじめは家族から小言を言われ、なじられ「どうやって生活するんだ。いつまで下働きばかりやっているのだ。」と、母親にも言われたりした。しかし、そうした下働きの中にあった一〇年間に、私はお金では買えない貴重な訓練を頂いたと考えている。

  あかしとして聞いて頂きたいと思うが、私は高校卒業と同時位から大学生や、世田谷の著名人の奥さん方に英会話を教えた。高輪の幼稚園児にも毎週英語を教えたし、成人になるかならない頃に、渋谷外語で一般の社会人や大学生にも英会話の手ほどきをした。収入は殆どなかったけれども、私の恩師のお子さん達に教えたり、やがては恩師の代講という形であちこちで教える機会をいただいたのだ。                   ( 続 く )

 

◎ 暗誦聖句  ヤコブ書 一章二二節
ただ御言(みことば)を聞くのみにして、己(おのれ)を欺(あざむ)く者とな らず、之(これ)を行う者となれ。

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