◆ ロマ書の学び(354)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年一一月七日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  願(ねが)わくは希望(のぞみ)の神(かみ)、信仰(しんこう)より出(い)づる凡(すべ)ての喜悦(よろこび)と平安(へいあん)とを汝(なんじ)らに滿(み)たしめ、聖靈(せいれい)の能力(ちから)によりて希望(のぞみ)を豐(ゆたか)ならしめ給(たま)は(わ)んことを。                 ロマ書一五章一三節

  多くの日本人は、「Wish(ウィツシ)」「Wish」と言っている。本当の意味での「Hope(ホウプ)」がない。「Hope」を持たないから、空を見上げて「ああ、パイロットになりたいなあ。」と思っても、それは「Wish」にとどまってしまう。それを「Hope」にするためには、毎日コツコツと勉強し、研究し、努力を積み重ねてはじめて「Wish」から「Hope」へと変わってくるのである。

  聖書の中で、私達が信じるイエス・キリスト、全知全能の神様は、私達の願いを叶えてくださるお方であるとある。旧約聖書の箴言第一六章の中に、神様にあなたの願いを申し上げるならば、あなたの望むところは必ずなるという約束がある。同時に、このロマ書の一五章には「希望(のぞみ)の神」と書かれている。

  中、高生の皆さんはどんな願いをお持ちだろうか。子供は特に小学校から中学校に進む頃「自分は、ああなりたい、こうなりたい。」という希望を持つ。これは、世界中の子供達に共通している。百年ほど前の日本では、小学生の希望は大したことはなかったが、二〇歳代になると“青雲(せいうん)の志(こころざし)”と言われた。その意味は、青年時代にはどんなことでもできるという大きな望みを抱くということだ。

  北海道の札幌農学校で教えたクラーク博士は「Boys(ボーイズ) be(ビ) ambitious(アンビシヤス).」=「少年よ、大志を抱(いだ)け。」と言った。でもこれだけではない、「イエス・キリストにあって大きな志をいだきなさい。」というのが本筋だろう。札幌農学校に行くと、クラーク博士の記念碑がある。私はそこに行った時「多くの日本人は、どうして本来のクラーク博士の言ったことを心にとめなかったんだろう。」と思った。彼は日本にイエス様のことを伝えに来た。そして、学問を教えることで多くのクリスチャンを育てた。滞在期間は短かったが、後の日本の社会を変革するような偉大な伝道者や作家が出てきた。

  使徒パウロが、ピリピ書に書いているように、イエス・キリストにあって志をもち、神様のみ栄えのために志を立てるということは大変大事なことである。 この故(ゆえ)に若(も)しキリストによる勸(すすめ)、愛(あい)による慰安(なぐさめ)、御靈(みたま)の交際(まじわり)、また憐憫(あわれみ)と慈悲(じひ)とあらば、なんぢ(じ)ら念(おもい)を同(おな)じうし、愛(あい)を同(おな)じうし、心(こころ)を合(あわ)せ、思(おも)ふ(う)ことを一つにして、我(わ)が喜悦(よろこび)を充(みた)しめよ。
       ピリピ書二章一〜二節

 

 

 

◎ 暗誦聖句 コリント後書六章一六節
我(われ)らは活(い)ける神(かみ)の宮(みや)なり。=@

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