◆ ロマ書の学び(355)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一〇年一一月一四日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  然(さ)れば此等(これら)の事(こと)につきて何(なに)をか言(い)わん、神(かみ)もし我(われ)らの味方(みかた)ならば、誰(たれ)か我(われ)らに敵(てき)せんや。
     ロマ書八章三一節

  今から三〇年ほど前、私達は新会堂を建てようというヴィジョンを掲(かか)げた。約三〇年前教育館を建てた直後に、私達は今度は古い会堂を壊(こわ)して新しい会堂を建てようとの志(こころざし)をもった。そこで何をしたかというと、信仰によって毎月、新会堂のために献(ささ)げていこうと決(き)めたのである。単なる願いだけでなく、自分達の足元(あしもと)を見ながら、足元を固めつつ目標に向かって一歩一歩進んで行ったのである。

  月々二、三万円のささげ物で会堂が建つのかと思った方々(かたがた)も少なくないと思う。しかし神様は現在の建物をお与(あた)え下さった。なぜなら、私たちはイエス様のみ栄(さか)えのため、神様のみ心を求めて、さらに私達の足元を固めるという三拍子揃った形でこの建物を求めたから与えられたのである。この建物は牧師の夢ではない。皆さん一人一人の「Hope(ホウプ)」が具体化された証(あか)しである。

  あなたが今、直面している健康の問題、職場、人間関係の問題などが多くあると思うが、イエス様にあって神様のみ栄え、神様のみ心を求めていく時には、どんな困難な問題も必ず解決されると思う。なぜなら、この世界を治(おさ)めていらっしゃるのは万物(ばんぶつ)の創造主(そうぞうしゆ)である真(まこと)の神様でいらっしゃるからだ。

  使徒パウロはロマ書の中で神もし我らに味方(みかた)せば、誰か我らに敵せんや≠ニ書いた。神様があなたと共に働いて下さるなら、世界中の誰があなたを打ち負かすことができるだろうか。それこそ、まだ童顔の残るダビデは石投げ一つで巨人ゴリアテを倒した。ダビデはまことの神様に目を注いでいた。そして、神様のみ名が汚(けが)される事を心から憤(いきどお)った。

  クリスチャンは怒ってはいけないということではない。クリスチャンは神様が喜ぶ事を共に喜び、神様がお嫌いになる事を嫌わなければならない。大変残念なことに、多くの人は神様が喜ぶことを喜ぶが、神様がお嫌いになる事を嫌わない。「まあまあ。」という風(ふう)だから、自覚(じかく)がない。私達は神様を愛するという時に、神様から引き離そうとする力に対して憎しみをもって戦わなければならない。

  罪(つみ)を憎(にく)み、悪(あく)と戦(たたか)い、善(ぜん)を追(お)い求(もと)めよ。≠ニ、聖書は繰り返し教えている。自分自身の名誉や、金持ちになりたいとか個人の肉的な思いではなく、神様のみ栄(さか)えのために自(みずか)らをささげていく。目的は神様のみ栄えのため、神様にお仕(つか)えすることができるため、そして、神様のみ前に一人でも多くの人を導(みちび)くことができるように、良い証しができるように、ということである。(続)

 

◎ 暗誦聖句 ヤコブ書一章二二節
ただ御言(みことば)を聞くのみにして、己(おのれ)を欺(あざむ)く者とならず、之(これ)を行(おこな)う者となれ。

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