◆ ロマ書の学び(361)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一一年一月一六日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  我(われ)は努(つと)めて他人(たにん)の置(す)えたる基礎(きそ)の上に建(た)てじとて、未(いま)だキリストの御名(みな)の稱(とな)へられぬ所(ところ)にのみ福音(ふくいん)を宣傅(のべつた)えたり。録(しる)して『未(いま)だ彼(かれ)のことを傳(つた)えられざりし者(もの)は見(み)、いまだ聞(き)かざりし者(もの)は悟(さと)るべし』とあるが如(ごと)し。=@    ロマ書一五章二〇〜二一節

  以前(いぜん)、アメリカのテキサス州に行(い)った時(とき)のこと。テキサスは石油(せきゆ)が採(と)れるところであるが、毎(まい)日(にち)のようにトラックで水(みず)を売(う)りに来(く)るのでびっくりした。「何(なに)?アメリカ人は水を買(か)うの?」と聞(き)いたら「そうだ。」と言(い)う。特(とく)にテキサスは水が大変悪(わる)い地域(ちいき)らしく、その水の中にはたくさんの悪い成分(せいぶん)が入(はい)っているそうだ。確(たし)かに水道(すいどう)の水(みず)をビンに入(い)れておくと、あっという間(ま)に下(した)の方(ほう)にワックスが溜(た)まった。おいしい水をただで入手(にゆうしゆ)できる日本では考(かんが)えられないことであった。

  私たちが神様からいただく祝福(しゆくふく)、恵(めぐ)みは全(すべ)て、「福音(ふくいん)」に入(はい)っている。

  最初(さいしよ)のクリスマスに「良(よ)きおとずれを汝(なんじ)らに告(つ)ぐ。」と御使(みつか)いが語(かた)った。神様の「良いおとずれ」とは、「福音」「グッド・ニュース」「ゴスペル」とは、いったい何なのであろうか。

  使徒パウロは、福音をキリストの満(み)ちあふれる祝福をもて到(いた)らんことを知(し)る≠ニ書いている。彼は、福音そのものがもたらす祝福を考えていた。

  たとえば、皆(みな)さんが罪(つみ)の中(なか)に生活していた時のことを考えてみていただきたい。イエス様を知らずに、神様の救いを受けなかったときにどういう生活だったであろうか。不安(ふあん)が毎日あり、恐(おそ)れがあった。これで満足(まんぞく)という満足感が無(な)かったと思う。それこそ、徒然草(つれづれぐさ)にあるように、百万(ひやくまん)長者(ちようじや)になれば、さらに億(おく)万長者になりたいと願(ねが)う心。

  そこまで欲(よく)張(ば)らないとしても不思議(ふしぎ)なもので、お金を貯(た)めはじめると五〇万円貯まったら、今度の目標は七〇万、今度の目標は一〇〇万、五〇〇万、一〇〇〇万、今度は一億(おく)円だと、どんどん欲望は膨(ふく)らんでいく。しかし、心はいつまでたっても満足がない。あるいは、自分で正(ただ)しいことをしたいと思(おも)いながら、正しいことができない。 以前(いぜん)、国会(こつかい)議員(ぎいん)の不祥事(ふしようじ)が発覚(はつかく)した時のこと。いきな

  り、リポーターに囲(かこ)まれて「週刊誌にこう出てますよ。」と言われて「いや。私、そんなことありません。」と否(ひ)定(てい)していた。しかし、けっきょくあとから「自分は、確(たし)かに秘書(ひしよ)給与(きゆうよ)をこういうふうに使(つか)いました。」と言って辞任(じにん)しなければならなかった。 誰でも、とっさに出(で)てくるのは、自分を守(まも)ろうとする思いである。              (続く)

  (外国の方たちのためにふりがなをつけています。)

 

 


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