◆ ロマ書の学び(367)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一一年二月二七日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  神様が下さった「頭(ず)脳(のう)の三%も私達は使っていない。あとは、まったく無駄(むだ)になっている。」とは、ある脳学者の説。何人かの優秀な科学者の頭脳は保存されているという。たとえば、アインシュタインの脳などである。ある科学者達は「アインシュタインの脳を少し切り取って、それを分析してみたい。DNAを調べて、それからクローンを作ろう。」と言っている。しかし、そんなことは必要ない。創造主なる神様に全(すべ)てをあけ渡すなら、神様はあなたが持ちきれないほどの祝福をお与えくださる、と約束を与えてくださっているからだ。

  詩篇八一篇一〇節にもなんぢの口を廣(ひろ)くあけよ、我(われ)ものを みたしめん。≠ニ書かれている。神様は、あなたの口を大きく開(あ)けなさい、私はあなたにものを満(み)たします、とおっしゃっている。これは、あふれんばかりの恵みを神様が、あなたがた一人一人に与えますよと仰(おつしや)っているのである。

  だから私はこの約束に従って、毎日神様の御前(みまえ)に口を開けている。そして私が口を開けるたびに「もうお腹(なか)いっぱいです。」と言うくらいに神様は豊かな祝福を、次から次へと与えてくださっている。あなたは、神様が「あなたの口を広く開けよ。」とおっしゃっているのに口をつぐんだままでいないだろうか。ぜひ、口を大きく開けて、「神様どうか私をあなたの祝福で満(み)たしてください。私はまだまだ、神様の恵みを数(かぞ)え切れていません。」と神様に求めていただきたい。聖歌に「のぞみも消えゆくまでに」(六四二番)という賛美がある。

  『一、望(のぞ)みも消えゆくまでに、世の嵐に悩む時(とき)、
  数えてみよ、主の恵(めぐ)み。汝(な)が心は安(やす)きを得(え)ん。
二、主の賜(たま)いし十字架を、担(にな)いきれず沈(しず)む時、
 数えてみよ、主の恵み。呟(つぶや)きなど いかであらん。
三、世の楽しみ、富、知識。汝(な)が心を誘(さそ)う時、
 数えてみよ、主の恵み。天(あま)つ国(くに)の幸(さち)に 酔(よ)わん。
※数えよ、主の恵み。数えよ、主の恵み。
 数えよ、一つずつ。数えてみよ、主の恵み。』

  一人一人の方が神様の豊かな祝福を数えることができるようにと祈っている。イエス様を信じる時に私たちは魂(たましい)の自由を、自我(じが)の束縛(そくばく)からの解放を経験できる。「私はイエス様と共に十字架につけられて死んだ。今あるのは私の古い性質ではない。神様からいただいた新しい生命に歩むのだ。」(ロマ書六章三、四節)と。

  また、神様の子供たちには全ての事が相働(あいはたら)いて益(えき)となる(ロマ書八章二八節)との約束もある。何一つ私たちに害をもたらすものは無(な)い。どこに行くにしても神様はいつでも共にいて下さる。神様の祝福が共にあるという約束を覚えて恵みを数えつつ歩もうではないか。(続)

 

  ◎ 暗誦聖句 ヘブル書三章一節後半
我(われ)らが 言ひ(いい)あらはす 信仰の使徒(しと)たり 大祭司(だいさいし)たる イエスを 思ひ見よ。


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