◆ ロマ書の学び(375)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一一年五月一日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  人生の海の嵐にもまれる時、私たちはイエス・キリストという岩の陰(かげ)に隠れる時に心に安らぎを頂(いただ)くことができる。

  「平安」は、しばしば休息を意味している。弟子たちがイエス様のみわざを見ながら、また、伝道を手伝いながら旅の疲れ、伝道の疲れを覚えた時に、イエス様はなんじら人(ひと)を避(さ)け、さみしきところにいざ来(きた)りて、しばし憩(いこ)え≠ニ仰(おお)せになった。

  クリスチャンであってもなくても、誰もが同じように体は疲(つか)れる。皆さんがあまりにも根(こん)を詰(つ)めて働きすぎると、体の疲れは精神的疲れをも、もたらす。そういう意味で伝道者は一週間に一度は必ず休めと言われるが、なかなか休めないのが実情だ。

  では、私たちはどういう風にして休息を取るのか。心臓と同じだと思っていただけるとよいだろう。心臓は、疲れたからといって「疲れたから、きょうは一日休もう。」などと言って止(と)まったりしない。心臓は、私たちが寝ている時にちゃんと動きながら休息している。伝道者である私たちもまた、それぞれ忙しい中にあって休息を取る。

  エホバ言(い)いたまいけるは我(われ)みずから汝(なんじ)と共(とも)にゆくべし我(われ)汝(なんじ)をして安泰(やすらか)にならしめん。
   出エジプト記三三章一四節

  「我(われ)親(みずから)汝(なんじ)と共(とも)にゆくべし。」まことの神様が私たちと共に進んで下さる。信仰者の力はここにあると思う。どこに行くにしても、神様が共にいて下さる、共に行って下さる。我(われ)らは神(かみ)の中(なか)に生(い)き、動(うご)きまた在(あ)るなり。≠ニ、使徒行伝一七章二八節には書かれている。

  世界全体を見ても確かにクリスチャンのお金持ちは少ない。ビル・ゲイツのような億万長者はあまりいない。しかし、クリスチャンは、かけがえのない宝を神様から与えられている。それは、「心の平安」というものである。

  我(われ)は卑賤(いやしき)にをる道(みち)を知(し)り、富(とみ)にをる道(みち)を知(ち)る。また飽(あ)くことにも、飢(う)うることにも、富(と)むことにも、乏(とぼ)しき事(こと)にも、一切(いつさい)の秘訣(ひけつ)を得(え)たり。
      ピリピ書四章一二節

  「貧しい時にも、富んでいる時にも、どのように対応したら良いか、私は心(こころ)得(え)ている。」とパウロは言っているのだ。これがクリスチャンの平安の秘(ひ)訣(けつ)である。イエス・キリストと行くならば、神様が共に働いてくださるならば、どんなこともすべて相働いて益(えき)となることを私たちは知っている、確信するということだ。 ( 続 く )

 

  ◎ 暗誦聖句 ヨハネ伝二〇章二九節
見(み)ずして信(しん)ずる者(もの)は幸福(さいわい)なり


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