◆ ロマ書の学び(379)
我(われ)ケンクレヤの教會(きようかい)の執事(しつじ)なる我(われ)らの姉妹(しまい)フィベを汝(なんじ)らに薦(すす)む。なんぢら主(しゆ)にありて聖徒(せいと)たるに相應(ふさわ)しく彼(かれ)を容(い)れ、何(なに)にても其(そ)の要(よう)する所(ところ)を助(たす)けよ、彼(かれ)は早(はや)くより多(おお)くの人(ひと)の保護者(ほごしや)また我(わ)が保護(ほご)者(しや)たり。
ロマ書一六章にはマタイ伝一章と同じく、たくさんの人名がでてくる。合計二六名の名前が出てくるため、ただ読むだけでは、なかなかとっつきにくい箇所だと思う。しかし、ここから使徒パウロが教会の一人一人を祈りに覚えたこと、また教会というものが、パウロ一人だけの働きによるのではなく、多くの兄弟姉妹によってたて上げられる、ということを見ることができるのだ。 まずロマ書一六章一六節までをひとつのまとめとして考えていきたいと思う。ロマ書の一五章一四節〜一六章二七節までが一つのまとまりと考えて良いだろう。 何年か前、日本にも野球の殿堂ができた。野球の殿堂というと英語ではhall(ホール) of(オブ) fame(フェイム)、fameはfamousと同じで有名な人、名を残すべき人という意味である。 アメリカにもhall of fameはあちらこちらにあり、政治家や伝道者が殿堂入りしている。地方の大きな教会にもhall of fameがある。バプテストの伝道者の絵がかかっていて、その伝道者がどういう生涯を送ったかという紹介が出ていたりする。 バージニア州にあるベル牧師が牧会なさっていた教会にも、会堂の入口の所にズラーっとバプテストの伝道者の写真が飾ってあったし、サンフランシスコのHSBC(インネス博士)にも同様である。私たちも自分たちの信仰の模範とすべき伝道者、クリスチャンの記録を信仰の鼓舞(こぶ)のために持ってもいいかなと思う。人々の記憶に留(とど)めておきたいという信仰の励ましの面からは意味があることではないか。 ロマ書一六章は、言ってみれば使徒時代に大変神様に愛され、神様にお仕(つか)えしたクリスチャンたちの姿、記念すべき名前であろうということが伺(うかが)われる。(続)
◎ 暗誦聖句 コリント前書一章二五節
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