◆ ロマ書の学び(389)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一一年八月二十一日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  ロマ書はクリスチャンの信仰の大切な土台として、繰り返し繰り返し読んで学んでいただきたい書簡である。

  私自身、神学校に行く前にもロマ書を何度も読んだ。神学校で講義を受けてもなかなか意味のわからない所がたくさんあった。さらに参考書を読んでも、一番知りたいと思うポイントの説明がどの註解書にもないというもどかしさを覚えていた。アメリカの大学院で講義を受けて、ようやくかなりの部分が薄紙を一枚一枚はがすように「ああ、こういうことだったのか。」という具合にわかってきて喜んだ。

  ロマ書を通して救いのすばらしさ、神様のご計画の偉大さ、さらに私たち異邦人(=イスラエルの民でない者)が神のあわれみのうちに救われたという喜びを深く味わった次第である。この教会でもロマ書はすでに三回ぐらい勉強してきたが、それでもなお私たちはこの内容を把握(はあく)できている訳ではない。折(おり)を見て、少なくとも一年に一回はロマ書を熟読していただきたい。メッセージを聞き直して理解を深めていただけたらと願っている。

  総体的にロマ書全体を通して、クリスチャンの信仰の土台である罪の問題、さらにその罪を赦(ゆる)され異邦人である私たちがどのように神様のあわれみによって神の救いにあずかる事ができたのか。救われてから毎日の生活の中で、神様のみ言葉によって聖(きよ)めていただき、さらに天国というゴールに向かって進んで行く希望を与えられ、神と共に永遠に住まうその時までのゴールを考えてきた。

  このロマ書をまとめていうならば、まず第一に、罪を犯し神様から離れていた人間が、イエス・キリストの十字架を見上げることによって罪を赦され、神様のみ前に一度も罪を犯したことがない者とみなされ、義と認められる「義(ぎ)認(にん)」という用語で表わされる。

  二番目には、イエス様を信じた一人一人は毎日の生活の中で聖書を読み、また聖書のみ言葉を実際の生活の中に適応することによって神様に毎日、清く変(か)えられていくというプロセス、すなわち「聖(せい)化(か)」である。「義認」「聖化」そして三番目は栄光の姿にかえられる「栄(えい)化(か)」である。

  彼らはキリスト・イエスに在(あ)る我が同勞者にして
 わが生命のために己の首をも惜しまざりき。
       ロマ書一六章三〜四節

  ロマ書一六章からの学びで、多くの人の名前が記されており、その働きを考えた。たとえば、女性執事フィーベ、さらにはプリスカとアクラという使徒パウロの伝道を背後から支えた夫婦のことである。

 

  ◎ 暗誦聖句 詩篇三七篇五節
なんぢの途(みち)を主(しゆ)にゆだねよ 彼(かれ)によりたのまば之(これ)をなしとげ


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