◆ ロマ書の学び(401)

        習志野バプテスト教会週報
         二〇一一年一一月一三日号
         ▽ み言葉に生きる

 

  多くの皆さんは日常的に、巧(たく)みなセールス・トークを聞いておられると思う。「エアコンを千円で掃除してあげます。」と電話がかかってきたりする。あれはまやかしだと、先日テレビで報じていた。

  日本には昔から「タダより怖(こわ)いものはない」という言葉がある。タダより怖いものはないと知りながら、私たちは安いとすぐ飛びついてしまう。テレビショッピングで、「三枚で一万円。いえ、今回特に更に三枚つけて…カバーもつけて…送料も無料で…。」などというのを聞くと「早く注文しないと損だ!」と、飛びついてしまう。こうしたオマケ付きには、オマケの方が高いものがあったりする。これを買うとカメラがついてくるなど…私もそういう買い物をして、我が家(や)には時計があちらこちらにある。こうした罪の世界にあって、気をつけないと次から次へと購買(こうばい)意欲(いよく)をかきたてられ、いらない物まで買ってしまう。そして、本当に必要(ひつよう)不可欠(ふかけつ)な物が買えなくなる。

  まず遠ざけよ=avoid(アボイド)、そしてよく自分で気をつけて、どれが正しいかどれが悪いかを見(み)極(きわ)めよ=mark(マーク)ということだ。

  この世はつまずきあるによりてわざわいなるかな。つまずきは必ず来たらん、されどつまずきを来たらする人はわざわいなるかな=iマタイ伝一八章七節)と、イエス様は仰(おお)せになられた。同じく六節には、我を信ずるこの小さき者の一人をつまづかする者は、寧(むし)ろ大(おおい)なる碾臼(ひきうす)を頸(くび)に懸(か)けられ、海の深みに沈められんかた益なり。≠ニある。

  聖書の教えといわれるものを、世界中の人々が知恵の宝庫として、また人間の生きる道筋(みちすじ)として聖書から断片的(だんぺんてき)に取り上げている。しかもそうした本当の意味でのクリスチャンでない人たちは、自分たちの都合のいいように御言葉を使う。マタイ伝四章を見ると、イエス様が荒野で悪魔に試(こころ)みをお受けになられた時に、サタンは神様の御言葉を使ってイエス様を誘惑(ゆうわく)した。悪魔は天使の装(よそお)いをもって、神様を信じる民を神様から引き離(はな)そうとかかってくる。

  教会の中に、分裂(ぶんれつ)、分派(ぶんぱ)を引き起こそうとする人が来る。そうした人たちに対しては、くれぐれも注意をしなければならない、とパウロはここで書いた。私たちは、イエス・キリストのおそば近くにはべるということ、そして、自分たちが御言葉を経験し、生きた証(あかし)を持つことがこの一六章一七節における御言葉に対する私たちの証(あかし)であろうと思う。  ( 続 く )

 

  ◎ 暗誦聖句 ロマ書八章三七節
(されど凡てこれらの事の中にありても、)我(われ)らを愛したもう者(もの)に頼(よ)り、勝(か)ち得(え)て餘(あまり)あり。


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