◆終末を考える

一九九七年九月二一日号

教会の奉仕は心身共に
ベスト・コンディションで

 某月某日には大地震があるかもしれないといわれて、飲み水、乾パンその他非常用の品々を用意した人がかなりいたそうで、気象庁がそんなことはないと言っても不安にかられた人たちが口から口へと伝えていった。次回は九月の中旬(?)とか何とか、何度でも先へ予測をのばすのだそうな。

 未来について知りたいと思う気持はどの国、どの世代でも強いようで未来もの、預言書ブームは今にはじまったことではない。

 クリスチャンにとっては、重要な信仰の土台となるべきことだが大変むずかしいダニエル書と黙示録の学びが預言研究に欠かせない。

 黙示録七章二節を引用して、文鮮明教祖(統一教会)は自分こそ再臨のキリストだと言うし、ものみの塔(エホバの証人)は十四万四千人(七・四)を自分たち選ばれた者といい、再りんは一九一四年に始まっている、と説く。どちらも、聖書を信じるキリスト教会からは異端とみなされている。その解釈と解釈法が聖書全体の教から大きく離れてしまっている故である。

ただし預言者もし我が語れと命ぜざる言葉をわが名をもて、ほしいままに語り、または他の神々の名をもて語ることをなすならばその預言者は殺さるべし。汝あるいは心に言わん我らいかにしてその言葉のエホバの言いたもう者にあらざるを知らんと。さればもし預言者ありてエホバの名をもて語ることをなすにその言葉とげず、またしるしあらざる時は是エホバの語りたもう言葉にあらずしてその預言者がほしいままに語るところなり。汝その預言者をおそるるに及ばず

            申命記十八・二十〜二二

 主イエス・キリストの再臨(ふたたび地上に来られるという預言の成就)については、新約聖書中に三百回以上(二五節に一回の割合)語られている。とくにマタイ伝二四章二五章、マルコ伝十三章、ルカ伝二一章は全体がこの主題である。コリント前十五章、テサロニケ前後書、黙示録などにも教えられている。

さいわいなる望み、すなわち大いなる神、われらの救い主イエス・キリストの栄光のあらわれを待つべきを我らに教う=@       テトス書二・十三

 イスラエルは千九百年の長きにわたり世界に散らされていたが、一九四八年に国を建てるにいたった。それ自体おどろくべきことだが、イエス・キリストの預言がその通りになったことを知るときに、聖書の警告に耳を傾けざるをえないではないか。

 世の終りに向かっている地球人は今まさに重大な決意を迫られている。             (一九八三)


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