◆生き方二つ

            一九九七年九月二八日号
           ▽世の終りの警鐘をすべての人に

「クリスチャンの生きる哲学は、自己否定、自己規律、自己抑制である。

 悪魔の生き方は、自分の好きなように生き、欲しいものを手に入れて、ほかの人に何やかやと命令させるな、自分の人生は自分の好きなように生きればいいのさ、という」

 大きな駅の近くには必ずといってよいほどにサラリー・ローンの店がある。大変な高利だとわかっていても手軽にお金を借りられることから、実に多くの人が利用している。雪だるま式にふえてゆく金利を払えずに悲劇がくり返される。毎日のように各地でおこる悲さんな出来ごとを知らない人はいないはずだが、五十万円ぐらいすぐ返せるから大丈夫と言っては、くもの巣にかかるようなものである。

 自分の収入と欲しいものとのバランスを見あやまると、収入以上の買い物に手を出すようになり、ローンに追われて楽しみより苦しみになる。

 アメリカではクレジット・カードの発達で借金にあえぐ家庭が大変多くなっているという。現金を持ち歩かずにすむのだから便利にはちがいないが、予算をたてて買いものをすることよりも、品物を見て、しょうどう的に買うことが多くなる。一つのクレジットが使えないと別のクレジットを使うというように、不良利用者がふえていく。

 かつて米国の大週刊誌に、これからの日本を代表する注目すべき人物という特集で、○一○一の若い社長も名をつらねた一人であった。たしかにそれから数年たった今も、この会社は大きな駅の近くに店をかまえて成長を続けている。

 週末の銀行には十数人がキャッシュカードを手に列をつくっている。盛り場でも同様である。手軽さが人間の欲望を容易に現実のものとする。その手軽さの背後にかくされた落とし穴に警戒をすることよりも、今という時間の楽しみを求めてしまうのである。

我はいかなるさまにおるとも、たることを学びたればなり。我はいやしきにおる道を知り、富におる道を知る。また飽(あ)くことにも、飢(う)うることにも、富むことにも、乏しき事にも、一切の秘訣を得たり。我を強くしたもう者によりて、すべての事をなしうるなり。

             ピリピ書四・十一〜十三

 自分の心をおさめることの出来る人は一つの城をせめとるものにもまさるといわれる。欲望のおもむくままに手を出し心をうばわれていると、やがてガス欠の車、電気のないテレビの山にうずもれる。

◎ 暗誦聖句  ヨハネ第一・二章二節  

彼は我らの罪のためになだめの供物たり


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