◆ 力 の か ぎ り

       一九九七年十月五日号
       ▽救いは一瞬にしてえられるが、
        人格形成は一生

「失敗すること自体は恥ずかしいことではない。自分の最善をつくさないで失敗することこそ、恥ずべきことである」              ーBJー

 あるとき、ラジオの対談で「なるほど、そういう考えもあるのかな」と苦笑したことがある。

 『日本人の「がんばって!」というかけ声は、百パーセントの努力をして最高の目標を達成しなさいということだ』というのだ。通常の人が六割から七割で満足するところを、九割以上果すと上等だが、完全ではない。それを上まわるときに、「打撃の神様」とか「料理の神様」などと、称号をたてまつるのである。実際そのような人が死ぬと神々の一人にまつり上げられてしまう。

 一歩後退、二歩前進という表現は知っていても、なかなか実際生活には応用されないという。かつて太平洋戦争がたけなわで、日本が守勢にまわったとき、玉砕(ぎょくさい)という言葉が新聞におどった。敵を前にして後退を考えることは敗北と同じで不名誉だとされ、全員が突撃をして死ぬか、あるいは自決(自分で死ぬこと)したと伝えられる。

 沖縄本島の南端(たん)には悲しみの墓碑が思いをつのらせる。山桜のように散ることを美徳とした日本人の死生観が人の心を圧する。

 エジソンが電球の寿命をのばす研究をしたときには三千回をこえるさまざまなテストをくりかえしたとも伝えられる。米国のデトロイト市近くに彼の実験室と昔のおもかげをのこす建物がのこっているが、そこには失敗に決してくじけなかった一人の男の汗のにおいをかぐことが出来る。そういえば米国人はあっさり降伏をして捕えられるようだ。あっさりというのは誤解を生むかもしれないが、日本人なら死を考えるときに彼らは降伏を選ぶことが多いであろう。一歩後退の例だ。

 事業家が生涯に一度や二度しくじることがあっても決して恥ではないというようなことをM電気の会長が言っているが、戦後の生き方を代弁しているのかもしれない。サトウ・ハチローという詩人がいたが、彼も若い頃の失敗を人生のステップとしたといわれる。

 神様はクリスチャン一人一人に対して自己のベストをつくすように求めておられる。

すべて汝の手に堪(た)うることは力をつくしてこれを為   せ。=@          伝道之書九・十

 無謀をすすめるわけではないが、信仰による冒険を逃げては祝福をのがすことにもなる。

◎ 暗誦聖句   黙示録二章四節

されど我なんじに責むべきところあり、

   なんじは初の愛をはなれたり=@  


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