◆ 母 と 子
一九九七年十月十二日号 ▽母の愛にかいまみる
キリストの愛と犠牲 つい先頃、テレビで父子家庭と母子家庭の問題を特集していた。どちらか一人がいないとするなら、お母さんとお父さんのどちらをのこしたいですか、ということも考えさせられた。経済的にやってゆけるなら、母親を求めるのが子供の心情ではなかろうか。 青少年の犯罪を統計的にみると、父親がきびしすぎたり、母親が子供を甘やかしすぎたりということも原因の一つとなる。だが、一つの家庭において、子供がどちらか片方だけの親で満足するかというと、そうではない。社会学者は、どんな父親であってもいないよりは、ましだという。子供は男女二人の成人を通して社会の仕組みを学んでゆく。男親によって育てられる子供たちはお母さんの愛がほしいであろうし、母親に育てられる子供は、父親のきびしさとか、決定の役割を学びたいようである。 子供は私の生きがいです。 と言った母親の時代は過去のものとなったであろうか。最近では共かせぎが多くなって、PTAも役員のなり手がなくて困っているという。かつては、子供のためには何をさしおいても学校にかけつけるというお母さんがいっぱいだったようだが、豊かさを求める願望の方がつよくなったのであろうか。生きがいを別のところに求めるのも一つの生き方であろうが、お母さんたちは本当に子離れをしているのだろうか。 マザコン≠ニいう言葉が一時はやったものだが、そういう男性がいなくなったわけでもあるまい。だのに人の口にのぼらなくなったのは、別の現象が次々と起こってきたからであろう。多種多様になった人の生き方ではあるが、人間の基本的欲求は変わることがないはずである。 おそれ≠ヘ人間をおく病にする。失敗することをおそれたり、人に受け入れてもらえないおそれもある。新宿のバス放火犯はこれにあたる。兄弟のどちらかが成績優秀だと、比較されて叱られることの多い方がおそれをもち、バット殺人の例となってゆく。 いかり≠ヘ社会の中にじゅうまんしている。音に対して、あるいは社会の不正や不義に対して、または隣近所のわからずやの言動に対してなど、きりがない。 子供を育てることのむずかしさを考えると、昔の親たちはよく私たちを育ててくれたなあと思う。たしかに現代は情報も多いし、生活も豊かになったといえよう。 しかし、子供が一番必要とする心の安定、母の愛が満ちていようか。
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