◆ 雲 の 柱 火 の 柱

              一九九七年十月二十六日号

              ▽祈の習熟

              ▽「時をあがなう」

 旧約聖書中に「雲の柱火の柱」という記述は十五ヶ所にある。時には回想であることもあるが、神さまの導きを学ぶ者にとっては大切な前提であり、はげましである。

 出エジプト記十六章十節にはエホバの栄光雲の中にあらわる≠ニあり、民数記九章十七節では、雲幕屋をはなれて上る時は、イスラエルの人々直ちに道を進み、また雲のとどまる所にイスラエルの人々営を張れり≠ニ記されているところから、単なる雷雲のような気象現象ではないことがうかがわれる。

 申命記一・三三エホバは道にありては汝らに先だちゆきて…夜は火の中にあり昼は雲の中にありて汝らの行くべき道を示したまえるなり=@三一・十五、エホバ幕屋において雲の柱の中に現われたまえり…

 詩篇一〇五篇三九エホバは雲をしきておおいとなし、夜は火をもて照らしたまえり

 イザヤ書四・五そは主、さばきするみたまと焼きつくすみたまとをもてシオンの山の…上に、昼は雲と煙とをつくり夜はほのおの光をつくりたまわん。あまねく栄の上におおいあるべし

 引用した聖句のそれぞれから特徴ある表現をとり出して考えてみよう。「エホバの栄光」「雲上る時人々道を進み」「先だちゆきて…道を示したまえるなり」「エホバ…雲の柱の中にあらわれたまえり」「おおいとなし、火をもて照らし」「さばきするみたまと焼きつくすみたま」

▽ 神さまは雲の柱をもって神の民と、不信仰な民とを分離なさった。力弱く、着衣は粗末で、宿もない選民に、対するは強大な軍隊と武器をもち豊富な糧食をもつエジプト勢。しかし神さまの愛と保護を受けたイスラエルは究極的な勝利を与えられるようになる。私たちもこの世にあっては旅人であり、無きにひとしい者たちである。信じない人たちは、たしかにこの世の富や権力を持っていよう。だが、人間にとって大切なことは、究極的な勝利であり、日日の平安、確かな歩みではなかろうか。

 私たちが何かの決断をせまられ、あるいは導きをあおぐとき、自分のつごうのよいように事がはこぶ祈りは、神さまの栄光を第一とする態度ではない。とどまることも大切だ。

されど上よりの知恵は第一にいさぎよく、次に平和、寛容、温順またあわれみと善き果とにみち、人をかたよりみず、いつわりなきものなり

                ヤコブ書三・十七

 一言片句に活路を見出そうとすることよりも、聖書全体の教えの中から神さまのみ心を学んでいこう。

                               □

◎ 暗誦聖句 黙示録二章十七節b

勝ちを得る者には我かくれたるマナを与えん=@


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