◆ 成 功 と は ?

            一九九七年十二月七日号

            ▽片手に聖書、片手に武器

             悪魔の火矢を消そう

世の中は変った。

人間も変った。

古い時代をおぼえ、昔の情緒をなつかしがる私たちは、古物商行きの人間なのだろうか。

 ラジオのボリュームを最大にしてスポーツカーを乗りまわす若者を見たり、教会近辺の青年たちが隣り近所に対する迷惑も考えずに大きな音を出して聞いている音楽は頭が痛くなる上、いらいらさせる。あれで心が休まるのだろうか。楽しい音楽なのだろうか。若者はスポーツカーを運転し、屋根にサーフボードをのせてギャルと遠出を楽しむことがかっこいいことだと話す。

 私たちが言葉をかわそうとしても「オジンじゃ話にならねえな」とくるから、どうもかみ合わない。

しかるに彼(レハベアム王)老人の教えし教えをすて、おのれとともに育ちて己の前に立つ少年等とはかれり=@               (列王十二・八)

 いつの時代にも若者と年長者との間には「たたかい」があった。そのたたかいの原因の一つは、人間の価値観と、成功に対する考え方ではなかろうか。

 いま全国に多くの若者が泣いている。受験による心の傷をもつためである。日本人は昔から「がんばってね」というはげましをするが、それは圧迫感ともなってくる。何かしくじるといかにもだめ人間のように批判をする親がいるが、これは深い心の傷をのこす。失敗することも人生経験の益となることをなぜおとなは話してくれないのだろうか。

純粋ばいようの人間ではないのだ。

 失敗も成功への過程である。

 エジソンは失敗することを恐れなかった。同じ失敗をくりかえす人間は愚かといわれようが、はじめての経験はかえって学校の勉強以上に大きな学びをあたえてくれるものだ。

 青年よ、この世の成功の基準にとらわれるなかれ。同世代の批判を恐れるなかれ。

 神さまのみ前に正しく評価をされる人間となることを求めよう。誰も歩いたことのない道をきりひらくためには失敗の積み重ねが足がかりともなるのだ。み心を求めて前進!

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◎ 暗誦聖句  黙示録二章二五節

ただ汝らはその持つところをわが到らんときまで保て   


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