◆ 日日に新(あらた)

        一九九八年一月十八日号

        ▽神にある人生
        ▽上向きの歩み


このゆえに我らは落胆(きおち)せず、我らが外なる人はやぶるれども、内なる人は日日に新なり

 若い時はそれほど考えることもないだろうが、人生の半ばをすぎる頃から私たちは、やりなおしを出来ればいいと思うようになる。

 かなりの自信家でも後をふりかえってみて、失敗を悔やむものだ。毎日毎日悔いのない人生が送れる人は幸いだ。その人こそ人生の勝利者といえるだろう。

 何気なく話した言葉が人を傷つけたり、誤解が誤解を生んで友だちと仲たがいをしてしまったりする。

 職場の上司に言ってはならない言葉を吐いて後悔する人も多いときく。その時はいかにもスッキリするように思えても前後の関係をみきわめないと思いがけない方向に展開する。「ふく水盆にかえらず」という。一度割れた器はどんなに強く接着しても傷あとは残る。私たちの後悔は、対処療法に終ることが多く根本的な解決にならない。

 人間は変わりやすい者だが、神様は不変のお方だ。いつの時代でも、どこの国でも、常に不動の基盤となる生き方を習得出来る人は必ず人生のある時点で、全能の神に見出された人たちである。

 失敗のない人生はありえないであろう。むしろ、失敗を勝利と成功へのステップとすることが出来るかどうかが分かれ道である。

 一年のはじまりに立てた志も、そろそろ汚点がつきはじめたことであろう。まっ白だった生活は、すでにそこここに汚れが見え、しわも見えほころびさえあるかもしれない。

 まちがいに気づいてもそのまま進んでゆくか、あるいは正しい道をえらびとるかで、人生はかわる。古いものの継続ではなく、新しい一日一日の積み重ねが、使徒パウロのいう日日に新ということである。

 そんなうまい話があるのだろうか。たしかにある。しかし、そのためにはまず、自分の作り上げた生き方とか、狭い社会での通念を捨てなければならないであろう。古い車にいくら金ぴかの塗装をほどこしたところで、やがて下からサビがういてくる。

 かえなければならないのは心であり、車ならエンジンである。自分プラス神ではなく、神様第一、神様中心の生き方こそ、一日一日を新しく生きる秘訣である。



◎ 暗誦聖句   黙示録 三章十一節
われ速やかに来らん、汝のもつものを守りて、汝の冠を人にうばわれざれ


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