◆ 悩みに勝つ

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年二月一日号

        ▽良き音づれの配達を
        ▽愛によるあかしを継続


これらのことを汝らに語りたるは汝ら我にありて平安をえんがためなり。汝ら世にありては悩みあり されどおおしかれ。我すでに世に勝てり。
              ヨハネ伝十六章三三節

 人はそれぞれに悩みを負っているが、なかなか他人の苦しみを理解することはむずかしい。ある人は生まれつきの苦しみをかかえているし、ある人は突然悩みにおちいる。

 それぞれにかかえる悩みを話してもらっていれば一晩中語りあかしてもつきないであろう。

 悩みの種るいや度合いはことなるかもしれないが、一番の問題はその悩みの取り組み方であろう。悩みに悩まされて押しつぶされる人もいれば、悩みを受け入れる人もいる。

 患難、試練、苦悩、困難、痛み等数多く、その原因も多様である。難問をかかえて、そのためにいら立ったり、不安にかられて煩悶することは原因そのものよりも難題となりうる。クリスチャンといえども、すべての重荷や苦悩から解き放たれているわけではない。この世にあっては悩みがあるのだ。

 この世は悪の支配にある。一時的な解決策を求めたり、妥協による打開策は私たちを救うものではない。

 職場でいやなことや、つらいことがあると酒を飲む人が多いが、根本的な解決にはならない。

 ある老人が聖書を手にして友人に語った。

「それらの事ののち」という記述があるのは嬉しい。なぜならどんな問題も、やがては過ぎ去って行き、とどまらないからだ、と。

わが常の道は彼知りたもう、彼われを試みたまわば我は金の如くしていできたらん=iヨブ記二三・十)

 神様はあなたが耐えられない程の悩みをおあたえにはならない。あなたを訓練し、みがきあげようとなさるのである。全能の主のみ手に目をそそぐなら幸いである。

 私たちは経験を通して、苦難は大きなみわざの前ぶれであると知ることが出来る。(使徒十六・二三)

わが兄弟よ、汝らさまざまの試練にあう時、ひたすらこれをよろこびとせよ、そは汝らの信仰のためしは、忍耐を生ずるをしればなり=iヤコブ書一・二)

 キリストにある勝利をかちとろう、
われらをキリストの愛よりはなれしむる者は誰ぞ。悩みか、苦しみか、迫害か、飢えか、裸か、あやうきか、剣か。されば凡てこれらの事の中にありて我らを愛したもう者により、勝ちえて余りあり。
            (ロマ書八・三五、三七)

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◎ 暗誦聖句  黙示録三章二十節
見よ、われ戸の外に立ちて叩く、人もし我が声を聞きて戸を開かば、我その内に入りて彼とともに食し、彼もまた我とともに食せん。



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