◆ 何を誇るか
習志野バプテスト教会週報
▽真の平安、よろこび
セールスマンは訪問した先で必ず何かを一つほめろと言われるそうで玄関をあけるなりおせじを言う人もあるから、苦笑してしまう。 昔の落語に「牛ほめ」というのがあるが、昔も今もほめられて悪い気はしない。余りかわいくない赤ちゃんを見たら、顔ではなくて髪の黒さや丈夫なこと、そのほかどんな点でもよいから一つチャーム・ポイントをさがせと言われる。人間誰しも他人とくらべて誇りたい部分があるものだ。 落語の世界では知恵袋といわれる老人と頭の回転がにぶい若者との会話のやりとりが人を笑わせる。結局は自分がかしこい立場に立って優越感にひたるのだ。テレビが普及するにつれてタレントがスターなみの扱いを受ける。だが知ったかぶりをする司会者や、自分の暗記力をひけらかすアナウンサーなど、どうもいただけない。 日本人は国力を養い世界の先進国にのしあがるため国をあげて勉強勉強とさけんできた。たしかに米国へもヨーロッパへも先進技術や頭脳流出が行われてきた。バベルの塔再建という怪挙(快ではない)に手をかしているのも日本人だし、エレクトロニクスの分野でも目ざましい活躍をしている。 聖書の福音を語ると多くの人は、「私は自分の力だけしか信じない」と言う。人は自分の生命を救い、死なせないことも出来ると思っているのだろうか。電子ビームをあてて男女の生みわけを研究する学者がいるほどだから、生命の源である神を信じようとしないのももっともだろう。 地獄のさたも金しだい、と昔の人は言った。今の日本を見るとまさに金の力で何でも出来るように思えるが、人、全世界をもうくとも、己が生命を損せば、何の益あらん(マタイ十六・二六)≠ニいうイエス・キリストのお言葉を十分考える必要があるのではないだろうか。 イエス・キリストを通して神を見ることが出来る人は幸いだ(ヨハネ一・十八)。 神によろこばれる者となりたい。
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