◆ 単純な信仰
習志野バプテスト教会週報
天地の創造主であられる神様が、これほどまでにイスラエルを愛し、守り、導き給うたのにもかかわらずイスラエルの人たちは、み声にきき従うことをせず、神様から離れようとした(十一節)。 ここには神様の祝福をいただくための条件がのべられ、約束がある。 詩篇五十・十五と五五・二二には、
なやみの日にわれをよべ 汝明日のことを思いわずらうな=iマタイ六・三四)と語っておられる。神様はいつでも私たちの悩みを解決するための助けを約束してくださっているのだが、人間はすなおでないようだ。祈ります、と言いながら待つことをしないで自分の力による解決をいそいで、しくじる。 試練や悩みごとを通して私たちは神様に全くよりたのみ、忠実に従うかどうか試みられる。 現代は科学万能の時代といわれるほど機器の発達はめざましい。ところが、人間の精神や霊のこととなるとまるで無頓着のようだ。 神様ならぬものに供え物をささげたり、まじないに頼ったりする。とくに政治の世界に多く見られることだという。コリント前書一・二一には、世は己の知恵をもて神を知らず、このゆえに神は宣教の愚かをもて、信ずる者を救うをよしとし給えり≠ニ記されている。 人の言い伝えや人間の思考の産物ではとうてい神様の愛と忍耐、祝福の約束に考え及ばないことだ。
汝の口をひろくあけよ 神様と人間との関係は聖書を学ぶことなくして正しい理解をすることが出来ない。然し信仰は単純に従うことから始まることを忘れまい。
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