◆ 自 浄 作 用

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年四月五日号
        ▽「主よ、自我のとりこと
          ならぬよう守り給え」

汝ら知らぬか、聖徒は世をさばくべき者なるを。世もし汝らにさばかれんには、汝らいと小さき事をさばくにたらぬ者ならんや。汝ら知らぬか、我らはみ使いをさばくべき者なるを、ましてこの世のことをや。
            コリント前書六章二、三節

クリスチャンの間にある誤解の一つに「さばく」問題がある。

汝ら人をさばくな、さばかれざらんためなり=iマタイ伝七・一)というキリストの教えに反するから自分たちは何もさばいてはいけないのだと思いこんでしまっている。使徒ヨハネは第一の手紙四章一節において凡ての霊を信ずな、その霊の神より出づるか否かを試みよ。≠ニすすめている。こころみるということは、さまざまな角度からチェックをして、真偽、正邪の判断をしなさいということであって、試してみたが結論を出すのは、さばくことになるからやめますということではないはずだ。

既に何度も言われてきたことではあるが、国連の存在が平和や正義に無力となっている事実を現在程見直されている時はないであろう。日本の政治がここでもピントはずれであることを、いまいましい思いで眺めている人は多いはずだ。米国についで二番目に大きな分担金。しかも米国は分担金未払いが続き国連は大赤字であえいでいる。互大なビューロクラット(政治官僚)組織となった国連は、全くその機能を果せないでいる。大国のエゴとか第三勢力がどうのというが、一番の問題は自浄作用がなくなっているということではないだろうか。

聖書の黙示録三章十四節以下には、互大な集まりとなったラオデキヤの教会が、世との分離をせず、高ぶり、いつわり、しかもキリストを戸の外に追い出している姿が描写されている。現代のアメリカ大教会のいくつかは、国連と同じような姿に変りつつあるのをみる。やがてこの日本にもその波は押しよせてくるであろう。

白き衣を買いて身にまとい、汝のはだかの恥をあらわさざれ、眼薬を買いて汝の目に塗り、見ることをえよ。=i黙示録三・十八)

教会は時代と共に生きているが、時代と調子を合わせてはならない。地の塩として、また世の光としてその役目を果さなくてはならない。米国の教会の一部は政治家に密着しすぎるところまで進んだのではなかろうか。今、教会の自浄作用を高めなければやがては敵(サタン)の格好の活動の舞台となるであろう。


◎ 暗誦聖句 黙示録五章八節後半
小羊の前にひれ伏せり、この香は聖徒の祈なり




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