◆ キリストに答えあり
習志野バプテスト教会週報
汝わが顔の前に我のほか何物をも神とすべからず 汝おのれのために何の偶像をもきざむべからず…… モーセを通してあたえられた十戒は、まことの神様とはどういうおかたかを教えるものではなく、人間のつとめについて教えている。 神様については、新約聖書にはっきりと知らされていて、それはイエス・キリストによって明らかになる。
いまだ神を見し者なし、ただ父のふところにいますひとりごの神のみこれをあらわし給えり
汝らもし我を知りたらばわが父をも知りしならん 人間は生まれながらにしていくつかの基本的欲求をもつ。中でも、保護を求め、決断に迫られる時には導きを、そして自分のやりたいと思うことの達成のためには特別な力を持ちたいと願うのだ。心のささえとして、目に見える形、あるいは像を考えてそれに語りかけたりする。 神様はこうした人間の欲求をご存知であって、それにおこたえくださるのだ。
はじめより有りし所のもの、我らが聞きしところ、目にて見し所、つらつら見て手さわりし所のもの即ち生命の言につきて…
神さまの保護については詩篇九一・七
また神さまの確かな導きについては
そして能力(ちから)については、 と約束されている。まことの神様から離れている人間は、自分たちの考えによって暗中もさくして、礼拝様式をあみ出し、偶像を作り、あたかもそれが最も神によろこばれることだと思い、人にも強要する。 こうした人間の宗教活動に対して神は警告をあたえ、そのむなしさをさとし、神に逆らう者に対する呪いとさばきを語っておられるのだ。 神さまは私たちに必要なものを与え、人間の欲求をみたされるが、単なる信心ぶかさではなく、私たちのすべてを要求なさっておられる。
汝心をつくし、精神をつくし、思いをつくして主なる汝の神を愛すべし 汝ら上にあるものを思い……
◎ 暗誦聖句 ネヘミヤ記四章十七節後半
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