◆ 神による区分

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年五月一七日号
        ▽み言葉の糧
        ▽主と共に救霊を

 旅行シーズンたけなわである。

 修学旅行や会社の慰安旅行など、主要な駅や空港は旅行仕度の人でにぎやかだ。

 学生が旅行をするばあい、大概はゆいしょある寺や神社をスケジュールに組みこまれ、先生は全部の生徒におふだを買うように号令をかけたり、「礼!」と号令したりするようだ。生徒たちはお守りを腰にさげて帰宅することが多い。

 日曜学校の生徒が先生やクラスの生徒全員の前で、ひとりだけ別行動をすることはむずかしいし、はずかしさもともなう。だが、すでに日曜学校の生徒たち数人は、この試練を通ってきた。前もって先生には自分がイエスさまを信じているので旅行先でほかの神神におじぎを出来ないと言っておいて、神社の中や、お寺の本堂に入らないようにする。

 神様を信じる民と、信じない民とがはっきりと区分された古事がありそれを学ぶ時にはげましをうける。

 旧約の出エジプト記八章二二、二三節
その日に我わが民のおるゴセンの地を区別(わかち)おきてそこにアブあらしめじ、これ地のうちにありて我のエホバなることを汝が知らんためなり。我わが民と汝の民の間に区別をたてん

 これに対してエジプトの王パロはモーセに妥協案を出した。「国の中で、汝らの神に犠牲をささげよ」というのだ。サタン(悪魔)は、クリスチャンが生ぬるい状態にいるようにとさそいかける。ここから遠くへ出て行かないで、みんなと仲よくやろうじゃないかと言う。

 次にパロは「ただし余り遠くへは行くなと言い、「わがために祈れよ」と、いかにも信心ぶかい者を見捨てないようにと誘いをかける。

 あんまりかたいことを言わないで、つきあったらどうかね、その上で私にも神様のことを話してもらいたいのだが……と人はクリスチャンの証し心をくすぐって妥協させようとする。

 九章四節においては、イスラエルの子孫に属する家畜が決して死なないように区別するとあり、その通りになった。エジプト人の家畜は悪い病気におそわれて死んだがイスラエル人の家畜は守られた。

 神さまによる区分はあわれみを示し、私たちの側では信仰により、神の側に所属するのだ。パロの臣下の中には、エホバをおそれてその命令に従い家畜を守られた人もいた。

 神様はいつの時代のも警告を与えておられ、その警告に従う者には祝福を、それに反抗する者には呪いとさばきをくだされるのです。


◎ 暗誦聖句  テトス書二章十三節
幸福(さいわい)なる望、すなわち大なる神、われらの救主イエス・キリストの栄光の顕現(あらわれ)を待つべきを我らに教う。



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