◆ 救 い (三)

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年六月七日号
        ▽すべての善い収穫は神の祝福。
         感謝の時を。


 たまに我が家をはなれて長旅をする時など、家が恋しくなり、つかれがたまりやすい。この頃の若い人は旅行なれをしていて、数年間家族と離れて外国で生活していてもホームシックにかかることが少ないらしいが。留学生や単身赴任のビジネスマンがノイローゼになって自殺をすることがあるが、わからないことではない。自分の家に帰ったところで親がいなければ楽しみも少なかろう。だが、故郷に帰るとほっとするのはなぜだろうか。

 見なれた山並み、なつかしい川、それに多少の顔なじみの人々、それでも心が安まるものだ。

「人間は神のもとに立ちかえるまでたましいの安らぎはない」
とある思想家は言った。

我らは神の中に生き、動きまたあるなり=i使徒行伝十七・二八)

 神の愛の中にとどまることが出来るならどんなに幸いなことだろう。子供が外でけんかをして泣きながら家に帰る。お母さんのスカートで顔の涙をふき、心がしずまる。お母さんは何でもわかってくれる自分の味方だと思えるのだ。

神もし我らの味方ならば、誰が我らに敵せんや=@
       (ロマ書八・三一)

 お金さえあれば人間は幸福といえるだろうか。かつてシンガポールの大富豪の夫人に福音を語った時のことである。彼女は数人の召使いと、最高級車四台を乗れる状態でありながら、しあわせではないと語った。お金は人のすべてではありませんとつけ加えた。

 お金のない人は、せめてたべるものや着る物に不自由のない生活をと考えるが、今神様から与えられている恵みの数々をかぞえることが大切である。自分の生命を売る人もいるがそれは例外といえるであろう。年をとるにしたがって生命の貴さ、お金で買うことの出来ない生命の価値を知るようになる。

だれ一人おのが兄弟をあがなうことあたわず、これがためにあがないしろを神にささげ之をとこしえに生きながらえしめて朽ちざらしむることあたわず。霊魂をあがなうには費(ついえ)いとおおくしてこのことを永遠に捨ておかざるをえざればなり=@
       (詩篇四九・七、九)

 神が人にあたえてくださるのは、キリストの義であり、真の自由、祝福である。どれも人間の努力や手の働きの実で買いとることの出来ないもので、全く神様のあわれみにほかならない。

 真実な神であられる故に、人間と取りひきをなさろうとはせず、信仰により救われよとおっしゃるのだ。


◎ 暗誦聖句  黙示録七章十二節
アーメン、讃美・栄光・知恵・感謝・尊貴・能力・勢威、世々限りなく我らの神にあれ、アーメン



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