◆ はぐくまれる(二)

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年七月二六日号
        ▽キリストの身体の節々として自覚を

なんじ真理の言を正しく教え、恥づるところなき労働人(はたらきびと)となりて神の前に練達せる者とならんことをはげめ
    テモテ後書二章十五節

 外国語の学習で一番効果がある方法は、神様があたえてくださった学習法だといわれている。それは且つての文法重点主義ではなく、何度も聞いて口まねをする「赤ちゃん方式」である。

 信仰の成長も同じことがいえるのではなかろうか。「信仰は聞くにより、聞くはキリストの言葉による」のであるから、聖書に書かれている神様のお言葉を多く聞くことが大切である。赤ちゃんもはじめは母親の言葉を聞くだけで、自分で話すことは出来ない。どんなに秀才であっても一才で会話が出来るわけではない。

 母親から栄養をいただき、話し言葉の手ほどきもしてもらう子供は決してあせりはしない。毎日くりかえしくり返し同じ言葉を聞いておぼえてゆく。

一、新生の必要

人は水と霊とによりて生れずば、神の国に入ることあたわず
(ヨハネ伝三の五)

かかる人は血すじによらず、肉のねがいによらず、人のねがいによらず、ただ神によりて生れしなり
(ヨハネ一の十三)

 真の神さまのことは、神のみ言葉である聖書を通して学ぶことが出来るが、新しく生れるという経験は、神の力によらなければならない。

「へえ、あの人がクリスチャンになったなんて信じられない!」
といわれることもある。新生は現代にも見られる神の奇蹟といわれるゆえんである。神さまのことに無関心であり、信仰とは縁もないと思えた私たちが救われたのは恵みである。

二、バプテスマを受ける。
 神の家族の一員として誕生した人は戸籍登録が必要である。生れたことは事実であるが、家族の一員として登録されなければ約束された特権を受けることは出来ない。キリストと共に十字架につけられ、死んで葬られ、主と共によみがえることの象徴であるバプテスマは、信仰のあかしであり、服従の第一歩である。教会員として神さまのご用をつとめることは祝福であり、特権であることを忘れてはならない。あらゆる束ばくから解かれ、本当の自由を受けるためにはキリストと共に死ぬことが必要だ。

 この大前提を通らないでは信仰の成長がのぞめない。完成ではなく、出発点であることを理解しよう。

 進歩をめざして祈ろう。
     (つづく)


◎ 暗誦聖句  黙示録 十一章四節
彼らは地の主のみ前に立てる二つのオリブの樹、二つの灯台なり



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