◆ はぐくまれる(四)

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年八月九日号
        ▽キリストの血を受ける

神はみ心をなさんために汝らのうちに働らき、汝らをして志望(こころざし)をたて、業をおこなわしめ給えばなり。汝らつぶやかず疑わずして凡てのことをおこなえ。これ汝ら責むべきところなく素直にしてこの曲れる邪悪なる時代にありて神のきずなき子とならんためなり。汝らは生命の言を保ちて世の光のごとく此の時代に輝く
   ピリピ書二章十三〜十五節

 青年期はうらやましい。

 学校や就職などに不安があるとしても、青雲の志を抱くことの出来る年代である。この世の不正、不義に対して激怒し、何か行動をおこさなければならない!と激論することがうらやまれる年頃でもある。

 北大の中庭にあるクラーク像。一時はペンキでめちゃくちゃにいためられたものだが、その胸像の下に記されているのは、ボーイズ・ビーアンビシャス≠ニいう有名の文句である。

 志望(こころざし)をたてるのは自分の名声とか権勢欲のためではない。クリスチャンの志望は、すべてを神の栄光のためにと祈り、ささげていくものだ(コリント前書十・三一)。

 神の栄光のために考え、計画を立て、実行に移す。何のヴィジョンもなしに唯祈るだけでは信仰者とはいえない。明確な導きをいただいたならば、こころざしを立てよう。それは勿論現実ばなれした雲を描くことではない。業をおこなうためには手順がある。事業には苦労もともなう。

人わかき時に軛(くびき)を負うは善し=iエレミヤ哀歌三・二七)

 青年の体内にはエネルギーが充満している。まわりのおとなを見ていると、いかにもスタミナがないように思えるらしい。自分なら簡単に出来ると考えるのも若さである。

…ああ我悩める人なるかな、この死の体より我を救わん者は誰ぞ=iロマ書七・十五〜二四)

 他人を批判して、自分を過信する者にも悩みがないわけではない。善を欲してもその善を行う力のないことを知る時に、大きな自信喪失に出会う。そして自分の力では何も出来ないことを知るようになる。信仰の青年期はまさに悩みの連続であり、前進と後退の繰り返しである。

汝らもし肉にしたがいて生きなば死なん。もし霊によりて体の行いを殺さば生くべし。すべて神のみ霊に導かるる者は、これ神の子なり。汝らは再びおそれをいたくために僕たる霊をうけしにあらず、子とせられたる者の霊をうけたり、之によりて我らはアバ父と呼ぶなり=iロマ書八・十三〜十七)


◎ 暗誦聖句 黙示録十二章一節 また天に大いなる徴みえたり


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