◆ はぐくまれる(五)

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年八月二三日号

 信仰の成長度は人によってちがうようだ。身体の方は健常者であるならある程度同じペースで発達するのだが、信仰は違う。

 礼拝や各種集会で聖書を勉強している人たちの間でも個人差がでる。同じ話を聞いていても、正反対の受けとり方をする人もいる。

 教えることは難しいことだが聞くことも勉強と努力が必要である。

 青年期に入る前の段階として、思春期がある。とくに信仰告白と献身の大切な年代である。

 親から独立し、一人前の人間として行動する思いが強くなる。外部からの風も強くあたり出す。

 信仰の一人立ちをする頃になると急速にいろいろな問題に対して解答をさがす必要にせまられる。友人たちから冷やかし半分にでも聞かれると、とっさに答えられないことが多い。何でも答えられないと大人とみなされないと思って悩み出す。

 身体の成長と心の成長がアンバランスなために非常に不安定な時期である。知らないこと、出来ないことなどは恥ずかしく感じてしまう。

 私たちは完全なものではない。すべての問題に答えをもつ者でもないことを自覚することがこの時期に対する心がまえだ。

若き人はなにによりてかその道をきよめん。聖言にしたがいて慎むのほかぞなき。
   詩篇一一九・九

 誘惑が多くおそってくる。内からも外からも目白押しである。自分は大丈夫と思っていても、私たちは弱い人間だ。

汝年若きをもて人に軽んぜらるな。かえって言葉にも、行状にも、愛にも、信仰にも、きよさにも、信者の模範となれ
   テモテ前四・十二

 社会のむじゅんを見て正義感をかきたてられるのもこの頃であろう。観念的な理解であった信仰が現実の生活とどうかかわりをもつのかということに関心がわいてくる。ある人はここで現実をうまく生きる道をえらんでしまうのである。

 主イエスはそれを種まきのたとえで語られた(ルカ伝八・九〜十六)。

 たしかに、ぶつかることがふえてくる。青年期には家族とのまさつ、社会との接触、交友関係など未解決の課題がいくつもある。

ああ我悩める人なるかな、この死の体より我を救わん者は誰ぞ≠ニいう使徒パウロの叫びは青年の叫びでもあろう(ロマ書七・二四)。

兄弟よ、知恵において子供となるな。悪においては幼児となり、知恵においては成人となれ
  コリント前書十四・二十

         (つづく)

◎ 暗誦聖句 黙示録十三章十節C
(虜にせらるべき者は虜にせられん、剣にて殺す者は、おのれも剣に殺さるべし、)聖徒たちの忍耐と信仰とはここにあり



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