◆ はぐくまれる(六)

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年八月三〇日号
        ▽電話で福音伝播

…若き者よ、我この書を汝らに贈りたるは、汝ら強くかつ神の言そのうちにとどまり、また悪しき者に勝ちたるによる
     ヨハネ第一書二・十四

 以前、NHKで中高生の特集番組を二週にわたり放映した。飲酒、タバコ、性、とそれぞれ実際に若者たちとの語り合いをまじえながらの考察であった。

 青年期はまさに混乱と不安定な時代であることがよくわかる。体内にみなぎる青春の血はしばしば理性という土塁をのりこえて走り出す。信仰においても異端につっぱしりやすい年頃である。極端な考え方、家族から遠く離れての生活、仲間同志での洗脳合宿など、若い人たちの心を魅了する活動が甚だ多い。そして多くの青年は無防備の状態で網にかかって行く。考えることよりも、エネルギーを発散させることによろこびを感じマインド・コントロールのえじきとなりやすい。

 罪のとりことなった若者の例が旧約聖書にもみられる。たとえば祭司エリの二人の息子、ダビデの子アブサロム、そしてソロモンの子レハベアムなど。

 しかし、いつの時代にも神を畏れて正しい歩みを求め続けた若者もいた。ヨセフ、サムエル、ダビデなどよい例であるし、ルツ、エステル、マリヤ、マルタという女性たちもいた。

 良い例と悪い例のちがいはどこにあったのだろうか。信仰生活に全然つながりがなかったために悪の道を走ったかというとそうではない。むしろ多少の宗教的感化を受けた者たちの中に大きな罪を犯した者がいるのだ。青年の時期にあやまちをおかすことは不思議ではない。しかし、そのあやまちから何も学ぶことなく深みに入ってゆくならば罪のはらう報酬は死である。

 試行錯誤と訓練をくりかえしてゆくうちに自力をつけてゆく。

テモテよ、なんじゆだねられたる事を守り、みだりなるむなしき物語またいつわりて知識ととなうる反対論をさけよ。ある人々この知識をよそおいて信仰よりはづれたり
       (テモテ前書六・二十)

 青年時代の特徴の一つは議論をすることだ。ひと晩中、友人たちと激論をたたかわせることもあろう。が使徒パウロは議論にも実を結ぶものとそうでないもののあることを注意している。

神の我らに賜いたるは、臆する霊にあらず、能力と愛とつつしみとの霊なればなり。
       (テモテ後書一・七)

 目標をめざして走ろう。

           (つづく)

◎ 暗誦聖句 黙示録十四章一節
われ見しに、みよ、小羊シオンの山に立ちたもう。(十四万四千の人これとともに居り、その額には小羊の名および小羊の父の名、記しあり。)



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