◆ はぐくまれる(七)

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年九月六日号
        ▽古い性質は十字架に

 親はどんなに子供を愛していても子供と一生すごして、子供の決断を助けてやれるものではない。

 人間はおそかれ早かれ、親から巣立ち、自分の道をきりひらいていかなければならない。

 子供がその日に着てゆく洋服の色をきめたり、休日をどのようにすごしたいかについて自分の意志を問われたりする外国のばあいは、青年になると大変はっきり自分の意志を言う。日本ではなかなかそうはいかない。小さい時からならされていないためにせっかくレストランにつれていってもらっても、
「なんでもいいです。みんなと同じものにします。」などとこたえてしまう。

「何でもいいから好きなものを注文しなさい 」  と言われるとなおさら、まごついてしまうのだ。日本人の「スマイル」を不可思議と感じる外国の人が多いが、物事をあいまいにすることの好きな国民だとの印象をも持ってしまうようである。

彼らはペテロとヨハネとの臆することなきを見、その無学のただ人なるを知りたれば、之を怪しみ、かつそのイエスとともにありし事を認む。……すなわち彼らを呼び、一切イエスの名によりて語り、また教えざらんことを命じたり。ペテロとヨハネと答えて言う「神に聞くよりも汝らに聞くは、神のみ前に正しきか、汝らこれをさばけ。我らは見しこと聞きしことを語らざるをえず」
        (使徒行伝四章十三〜二十節)

 信仰は常にその旗色を鮮明にすべきことが求められる。どっちつかずの灰色は、政治の世界ではゆるされようが、神さまにはよろこばれることがない。

われ汝の行為を知る、汝は冷やかにもあらず熱きにもあらず、我はむしろ汝が冷やかならんか、熱からんかを願う。かく熱きにもあらず、冷やかにもあらず、ただぬるきがゆえに、我汝をわが口より吐きいださん
        (黙示録三・十五、十六)

 青年の特徴はその大きなエネルギーにある。その爆発しそうな活力をどこに注ぐかは重大な選択である。ある若者は異端の流れに引きこまれてその人生を燃焼してしまう。

 神さまにあって建設的な燃焼もあれば、自己の快楽のための燃焼もある。

 学校、就職、結婚、人間関係、宗教、などあらゆる方面において私たちは日々正しい選択をせまられているのである。

 神によろこばれる道をえらぶか、人をよろこばせる道か、どちらを?
         (つづく)

◎ 暗誦聖句 黙示録十四章七節A、B
なんじら神をおそれ、神に栄光を帰せよ


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