◆ はぐくまれる(八)

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年九月一三日号
        ▽義の僕として生かされる

 人間に迷いはつきものである。

 歴史上、有名な政治家として知られるリンカーン米大統領、チャーチル英首相などは、よく聖書を読み、日々神に祈ったという。それだけでなく、重大な決定をくだす時には必ず時間をとって神の導きを祈り求めたという。

 かつて国鉄の総裁であったS氏はクリスチャンだったそうだが、新聞記者に問われた時答えた、

「日本中の人をはこぶ大切な仕事です。毎日事故がないように神様に祈らずにおれますか。」

 ところが残念なことに、クリスチャンといわれた0首相は、自分の決定に自信がもてず、占いに相談することがしばしばだったという。

 日本の会社や社会組織には日本的ともいえる責任のがれの体質がある。決して日本の悪口を言うつもりではないが、どうも責任の所在がはっきりしないことが多い。

 若い人たちの間では、「自分の責任じゃないから知らない」という考え方がだいぶ浸透しているようで、無責任な言動がしばしば見られる。何か事故や失敗があると、「自分たちの責任ではない」と逃げる。

 日本語でおもしろい表現がある。
「誰々のせいでこうなった」

 もちろん外国語にこれと似た表現がないわけではない。だが、使う回数からいうなら数段のちがいであろう。

 他人のせいにし、上役のせいにし、天気のせいにし、社会のせいにするということが日常くりかえされる。

 もっと自分自身の決心、選択、責任においてきめ、行動をすることが本当の人間としての価値ではなかろうか。日本の会社の上役は、仕事は部下にまかせるというが、最後の責任を自分がとることが少ないという。政治の世界にもよくみられる。どれだけ部下がたのまれた仕事を成しおえるかフォロー(追跡)することが大切である。

 ローマの総督ピラトは、イエス・キリストを裁くにあたって自分の権限を放棄してしまった。歴史の中で一番大きな選択の場でありながら、彼は歴史に汚名を残した。

 アブラハムは国を出る選択により信仰の父としての歩みを始めた。

信仰によりてモーセは人となりしとき、パロの娘の子ととなえらるるをいなみ、罪のはかなきたのしみを受けんよりは、むしろ神の民とともに苦しまんことをよしとし、キリストによるそしりはエジプトの宝にまさる大いなる富と思えり。これ報(むく)いを望めばなり
      (ヘブル書十一・二四〜二六)

 聖霊の導きを求める歩みをしよう。

           (つづく)

◎ 暗誦聖句 黙示録十四章七節後半
汝ら天と地と海と水の源とを造り給いし者を拝せよ


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