◆ はぐくまれる(九)

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年九月二〇日号
        ▽活動の中の休息とよろこび

 神の義(ぎ)は人間にとって乗りこえることの出来ない正義であり、高さにある。

神の義はその福音のうちにあらわれ、信仰より出でて信仰に進ましむ。しるして「義人は信仰によりて生くべし」とあるが如し。
     ロマ書一章十七節

「義」、「信仰」、「希望」の三つの言葉は聖書においては一つの言葉にその基本的な概念があるといわれる。

 ア、直線にそう
 イ、定ったこと、安定
 ウ、正義と真理の源であられる神によりたのむこと、

「真理」とか「忠実」という言葉はヘブル語(旧約聖書が書かれている言語)の「アマン」からきていて、「育てる」→「確立している」という意味になり、「信じる」という表現はこの「アマン」に由来するとされている。はぐくまれる過程だ。「神を信じる人というのは、神の啓示を受けてそれを認め、真実と考えて行動をする」といわれるのも、こうした理由によるのである。

 信頼、忍耐、希望は、神のみ言葉通りに神を迎え入れる信仰の実(み)である。全能の神からの約束、警告、命令などのメッセージに対して「ハイ。アーメンです」ととるならば信仰である。福音書(マタイ伝、マルコ伝、ルカ伝、ヨハネ伝の四つをさす)において、主イエスはご自分が信じられることを要求なさっている。愛、純潔、自己犠牲の終りなど、永遠の生命に入る者の歩みである。

 ソロモン王は「我何を汝に与うべきか、汝求めよ」と夢の中でみ告げを聞いた時、彼は財宝よりも知恵を求めた。(旧約、列王上三章)

 使徒パウロの生涯において彼の行動の原則を学ぶなら、次の言葉に要約される(ガラテヤ一・十)。

我いま人によろこばれんとするか、あるいは神によろこばれんとするか、そもそもまた人をよろこばせんことを求むるか。もし我なお人をよろこばせおらば、キリストのしもべにあらじ

 使徒ヤコブは私たちが選択にせまられた時の祈の心がまえを教えてくれる(ヤコブ三・十七)

上よりの知恵は第一にいさぎよく次に平和、寛容、温順またあわれみと善き実とにみち、人をかたより見ず、いつわりなきものなり

 迷いが強い時にはヤコブにきこう、
……世の友となるは、神に敵するなるを知らぬか、誰にても世の友とならんと欲する者は、己を神の敵とするなり=i四・四)

      (つづく)

◎ 暗誦聖句 黙示録十四章七節
汝ら天と地と海と水の源とを造り給いし者を拝せよ


本ページへの問い合わせは ruthdick@mtj.biglobe.ne.jp までお願いします。