◆ はぐくまれる(十) 

        習志野バプテスト教会週報
        一九九八年九月二七日号
        ▽暑い国の救霊を思う

 「あたらしく造られる」こと。

”人もしキリストにあらば新に造られたる者なり、
 古きは既に過ぎ去り、視よ、新しくなりたり。”
         コリント後書五章十七節

 一般的にいって、信仰を求めて回心を経験する年代はどのくらいだろうか。海外の調査によると、男子が十四才、女子が十二才半の頃が一番多いといわれる。人生のはげしい波風を受ける時期であるだけに、心の安定を真剣に求めるためと思える。

 日本ではこれよりおくれることが考えられる。クリスチャン・ホームの子弟が小学生時代に救いを経験することは不思議ではない。しかし、これほど不信仰がはびこる日本では外国よりも二才ないし四才はおくれているようである。その上、周囲の反対や嘲笑を恐れて公けに信仰をあらわすことも少ない。

「キリストにある」とはどういうことだろうか。「に」に鍵があるようだ。キリストの中にすっぽり入ってしまう。生活のあらゆる面において前面に出るのは自分ではなく、主イエス・キリストである。玄関のブザーが鳴る。返事とともに自分が出て何かを処理するのではなく、キリストが応待をしてくださるようにおねがいするのだ。

 新しく造られた(新生)人はすべての点で過去の生活と異なる。まず生きるための食物がふえる。肉とか野菜は当然であるが霊魂の糧(かて)を毎日いただくようになる。聖書を読み、実生活に神様のお守りとお導きを意識することが、クリスチャンとしての歩みをたしかにする。
どん欲な程にみ言葉を食べよう。
 
 

◎ 暗誦聖句  黙示録十四章七節
 
 


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